ここ10日間ばかり、仕事を離れて音楽のことばかり考えて過ごしていましたが、リハビリを兼ねて、ちょっとばかり本業の建築に関したことを綴ってみようと思います。
以前からの小さな「疑問」であったことーー私の思う「バロック音楽」と「バロック建築」のイメージがかけ離れているーーということについて。
昔の教科書などを引っ張り出して調べてみました。
「バロック音楽」としましたが、ここでは「バッハの音楽」です。
バッハに対する思いはいろいろとあるのですが、それはまたの機会に綴るとして・・私が抱くバッハのイメージは、神に捧げる敬虔な音楽、無駄のない計算しつくされた音楽、そしてある種禁欲的な音楽、というものです。
かなり大人になってから「無伴奏チェロ組曲」を初めて聴いて衝撃を受けたのですが、そのとき私の頭に浮かんだのは、「安藤忠雄のコンクリート打ち放しの空間」でした。無駄な装飾のない、静的でスタイリッシュな空間。そしてそこで黒い衣装の男性チェリスト(マイスキーとかイッサーリスがいいですね)がこの曲を奏でている・・カッコいい!(←妄想力を発揮)
そこで「バロック建築」
私の頭の中にある「ドイツ・バロック建築」とは、こういうものです。
装飾過多。やりすぎ。
大学の「西洋建築史」の講義で、この会堂のスライド写真を映しながら、「ドイツ人は、なんでも徹底してやってしまうんですねぇ」との教授のコメントに、教室で笑いが起きたことをよく憶えています。
この建築様式はバッハの音楽とは真逆の性質のもの。それがなぜ同じ「バロック」として括られているのか?
それで今回、数十年ぶりに!?「西洋建築史」の教科書をめくり直してみました。
そしてすぐにわかったことは、「カトリック」と「プロテスタント」。バロック様式の宗教建築とは、カトリックの教会建築だったのですね。少し考えれば、教科書を見るまでもなくわかったことだったような気もします。
教科書には「当時の激しい宗教改革の嵐の中に立たされてあらゆる力を反動宗教改革に結集せざるを得なかった教会は建築にもその一翼を担わせる」とあります(学術書ならではの難解な表現・・)。プロテスタントの勢力拡大に立ち向かうための、壮麗豪奢なカトリックの教会建築。
様式の特徴としては、建築と彫刻、絵画が一体となり、装飾や曲面、曲線を用いた「動的」な空間、とされています。私の脳裏に刻まれているのは、正面祭壇のキャンディのような「ねじりん棒の柱」だったりするのですが。
このように、建築には説明できる「様式」があるのですが、では音楽にそのようなものがあるのか?といえば、そうとは言えません。
1600年頃に初めてオペラが上演された頃から、作曲家で言えば、モンテヴェルディ、リュリ、ヴィヴァルディ、テレマン、ヘンデルそしてバッハ。バッハが亡くなる1750年頃までが、音楽の「バロック期」とされています。
しかし、そもそもこの時代の音楽家が「自分はバロック音楽を創作している」と思って活動していたわけではなく、後世に「バロック時代の音楽」としてまとめられているだけのこと。
カトリック教会の象徴のような「バロック」に自分がカテゴライズされていることを知ったら、敬虔なプロテスタント信者だったバッハは怒るかもしれませんね・・。
ついでながら、バッハがカントルをつとめたライプツィヒ聖トーマス教会は、1446年に献堂され、何度も改築されたのち、1889年に現在のネオ・ゴシック様式になったということです。