18時開演 京都コンサートホール
チャイコフスキーのコンチェルト3作品のガラ・コンサート。
京響の本拠地、京都コンサートホールで素晴らしい演奏を楽しんできました。
最初のチケット発売時にチェックできていなかったのですが、11月初めの再発売日にサイトを見たら既に完売。チケット・サイトで買おうかな、と考えていたところ、思いがけず譲ってくださる方がおられて、正に僥倖、でした。
ベートーヴェン生誕250年の陰に隠れた感がありますが、今年はチャイコフスキーも生誕180年のメモリアル・イヤー。それを受けてのガラ・コンサート、と思われますが、ピアノ、チェロ、ヴァイオリンのコンチェルト3作品で構成され、何も考えなくてもそのまま楽しめる、まるでお菓子の詰め合わせのような幸福感のあるプログラムでした。
私の最大のお目当ては佐藤晴真さんのチェロだったのですが、それが広上マエストロで京響というなんとも嬉しい組み合わせで、これは是非行きたい!と思っていたのです。
佐藤晴真さんは、今年7月の日本センチュリー定期で初めて聴いて、まさに「ひと聴き惚れ」。近いうちにまた聴きたい、と思っていたのですが、半年経たずに叶いました。
前回感じたのと同じ、その明るい音色に「チェロの音色」を超えて「美しい音」を聴いている、という感覚を持ちました。低音の深みと細い細い透明な高音。どんなに速いパッセージでも決してブレない抜群の音程。チェロの音域の広さとその音色の魅力を存分に味わいました。
・・実は、ぜひこれを聴きたいと思ったのにはもうひとつ理由がありまして(黒理由?)、11月にウィーンフィル来日公演で同作品を聴いた際の良くない印象を払拭したかったからなのです。最高の音色でこの作品の印象を上書きしたかった。果たして、それを補って余りあるほどにその願望は叶えられました。演奏後、袖で広上マエストロが「素晴らしい!」と仰っていたのが聞こえてきたとか(笑)。観客の総意でもあったと思います。
ちなみにこの作品、チャイコフスキーが作曲の際にアドヴァイスを求めたチェリストのフィッツェンハーゲンが、変奏の順番を変える、ソロを技巧的な音楽に書き換える、8つ目の変奏をまるごとカットする、などの改変を行い、それが出版されて定番化しているとのことで、ウィーン・フィルでの演奏もこの「フィッツェンハーゲン版」でした。チャイコフスキーは不本意ではあったけれど、自己批判的な性格もあり受け入れていたとのこと(ブルックナーに似ていますね 笑)。チャイコフスキーの死後半世紀以上を経て、上からインクでつぶされた自筆譜のX線検査によりオリジナルが復元され、この日の演奏はそのオリジナル版によるものでした(残念ながら違いを聴き分けることはできませんでしたが)。
ヴァイオリン・コンチェルトの三浦文彰さんもさすがで素晴らしかった。
「凍れる音楽」とは建築を形容した言葉ですが、聴きながら頭に浮かんだのがこの言葉で、張りつめた弱音の超絶高音に、雪の結晶あるいは氷の細工のような、透明で鋭利できりりと輝く、繊細な造形物のイメージを持ちました。
オーケストラとのアンサンブルも素晴らしく、フィナーレのキレの良さといったら!これぞ広上マエストロ&京響。ラストでソリストと共にオケの上げ弓が一斉にぴたりと空中で止まったさまは見事、こちらも弓に合わせて「万歳!」ともろ手を挙げたくなるような爽快感でした。
余談ですが、三浦さんの登場前には「よろしくお願いします」とマエストロ(笑)。これはもう、観客に聴こえることを計算済みなのですね。京響常連の方にはお馴染みなのかもしれません。
1曲目のピアノ協奏曲第一番。ソリストは岡田奏(かな)さん。出番前にステージ袖から広上マエストロが「よっしゃ!」と仰っている声が聴こえてきたのですが、そのマエストロに伴われ、白いフワフワとしたドレスで登場されたそのお姿、臨月ちかくの大きなお腹に驚きました。うわぁ頑張るなぁーと思いつつ、かつて上原彩子さんがやはり同じような状態でコンチェルトを弾いていたことを思い出したり(重心が安定して弾きやすかった、と言われてました)、さらに大きく遡ってはクララ・シューマンもこうして弾いていたのだな、と思ったり。
座席がポディウム席の上手だったので、ピアノの音は蓋で遮られ、手元も見れなかったのが残念だったのですが、知的できりりとした表情が美しい、と思いました。
P席は「マエストロ、ガン見」席なので、広上さんの笑顔につられて、私もずっとニコニコで鑑賞していました(マスクなので、ニヤニヤしていてもわからないのがありがたい)。
そして、コンチェルトの指揮とはこういうものなのだ、というのもよく分かりました。基本的にソリストのテンポに合わせてゆるく振っておられて、ここぞ、というところを締めている、という感じ。お馴染みの「ジャンプ」は全くなく(笑)、こんなに動きの少ない広上さんを見るのも初めてでしたが、ソロの楽器に指示を出した後、それが決まると親指を立ててGood!のサイン(にっこり)。指揮とは人心掌握術なり、と実感しました。
◇座席
ポディウム席の最前列上手側。
市松配席。見たところ、3~4割の入り。まるごと空席のブロックも散見され、「完売」に疑念を持ちました。感染拡大で外出を控えた方も多かったのかもしれませんが。
◇その他
京響はよく聴いていますが、広上さんでは久しぶり。京都コンサートホールも久しぶりで、この組み合わせは、2017年の「千人の交響曲」以来、実に約3年半ぶりでした。