2020年12月29日(火)大阪フィルハーモニー交響楽団 第九シンフォニーの夕べ

17時開演 フェスティバルホール

3年振りの大フィルの第九。
ベートーヴェン・イヤーのまさに締めくくりの演奏会として出掛けました。

今年はびわ湖ホールのジルヴェスター合唱団の募集がなく(残念)、練習・リハーサルもないわけで、年末らしく大掃除をし(つまりこの数年大掃除はしていませんでした 汗)、年賀状も余裕で作成、こうして大フィルの第九にも行くことができました。

今回はなんといっても、テノール福井敬さんはもちろんのこと、バリトンのソリストが青山貴さんで、青山さんの歌う”O Freunde, nicht diese Töne!” が一番の楽しみでありました。

毎年大フィルの第九は2日間にわたっての2公演ですが、今回は1公演のみ。チケットは完売、市松でない配席だったので、「満席」でした。

ステージは、後ろの反響板、両側面の反響板をそれぞれ2メートルずつくらい下げて奥行きを拡げ、合唱団の前にはアクリルのパネルがずらりと並べられていました。ソリストはヴァイオンの後ろ、下手側に設えた壇上で、指揮者(上手側客席)の方を向くという珍しい配置。
そして、大フィルは第九でもやはり弦16型!
第九でこれだけの楽器が並ぶのは壮観です。

合唱がソリストともに3楽章の前に登壇するという、これも対策の一環なのでしょうか、今までにないステージングで、合唱席が空いた状態で1,2楽章を聴く、という初めてのケースでした。

さて、その演奏ですが・・
実は1楽章が始まってしばらくしたあたりから「嫌な予感」がしたのです。テンポ設定がゆるく、なんというか音楽に推進力が感じられない。経験上だいたいこの「予感」は的中してしまうもので、途中で覆って名演に化ける、ということはないのですが、残念ながらこの演奏も名演になることはなく終わってしまいました。コロナ禍を乗り越えて今年も第九演奏会が開催できた、とか、この苦境もやがて歓喜に向かうであろう、そのメッセージとか、「燃料」はいくつもあったと思うのですが、熱量や伝えたいことの感じられない「そつのない」演奏で、3楽章などは「寝てもいいかな」と思ってしまいましたーーホルンの音色はとても美しかったのですが。結局こちらの気持ちは乗り切れないまま、残念な気持ちで終わってしまいました。
ラストでは「フラ拍手」も起きていたので、なにかを受け取った観客の方も多数おられたようではありましたが。

とは言うものの、楽しみにしていた青山さんの独唱。
やはり、これは素晴らしかった!柔らかでふくよかな低音。このとっても好きな声でこのフレーズを聴けている!と大きな満足感に浸りました。また、この冒頭部分のフレージング、これもソリストによっていろいろで、あれ?と違和感を抱くこともときにあるのですが、青山さんのそれは私の聴き慣れた、すとんと気持ちの真ん中に落ちるもので、うん、やっぱり好きだなーと思いました(笑)

合唱は東京混声仕様の形状でグレーのマスク。後方の木製長椅子に下手からSATBの順で市松に並ぶオーダーでした。関フィル第九で合唱の聴こえ方についていろいろ感想を聞いていたのもあり、どう聴こえるか、ということに興味津々でありました。
まず、大フィル合唱団はやはり上手いな、というのが最初の印象。ですが、やはり幕の後ろで歌っているような、フィルターがかかった聴こえ方で、特にソプラノの高音の透明感が損なわれていて惜しい。ベートーヴェンがなんといわれようと音程を下げなかったこの高音。歌う方はツラいですが、この五線を超えたところにある高音の響きには独特の透明感があるもので、ベートーヴェンの目指したものはこれなのか、と納得するのですがーーその苦労して出した高音が響かないのはなんとも報われない。歌われている方はそんなことは感じられないと思うので、こちらの勝手な思いではありますが。
恒例のアンコール「蛍の光」の合唱は美しく、感動。この歌唱で救われた思いがしました。

◇座席
1階上手側、BOX席の2列後ろ。視界よし。
このホールでは2階席で聴き慣れていますが、この位置ではオケの響きがダイレクトに聴こえ、また違った印象を持ちます。

 

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