14時開演 びわ湖ホール 大ホール
びわ湖ホールの今年のプロデュースオペラは、新制作の「トゥーランドット」。歌唱も音楽も舞台もすべてが揃った感動の公演でした。

今回は2日とも鑑賞しましたが、どちらのキャストもそれぞれに素晴らしい演唱でした。
まず何といっても、1日目のカラフ、宮里直樹さん。この1年余りでこのブログに何度賛辞を書いたことでしょう。今では、パブロフの犬の如くそのひと声を聴いただけでウルっときてしまう。この日も美声がホールに響き渡っていました。
同じく1日目ではリューの吉川日奈子さん。可憐な容姿と透明感のある声はこの役にぴったり。ティムールの妻屋さんは言うに及ばず(ちなみに今回は「目が見える」設定だったとのこと)。
カラフの歌う「泣くなリュー」から始まり、挑戦の銅鑼が3回叩かれて、盛り上がり(混乱?)が頂点に達する第1幕のフィナーレ。オーケストレーションの巧みさ――特に打楽器の効果――も含め元々大好きなのですが、生で聴く独唱、重唱、合唱、オーケストラに圧倒され、きらびやかな衣裳が並ぶ舞台の華やかさにも圧倒され、涙が噴き出るほどの感動でした。これまでたくさんのオペラを観てきましたが、もっとも感動したといっても過言でないくらい。
1日目は1階前方の良席での鑑賞だったのですが、2日目は4階下手側のバルコニー席(勢いで買った最安席)。これが、お行儀よく椅子に背中をつけて座ると舞台の殆どが見えない「超見切れ席」。やや乗り出し気味で見ましたが、それでも舞台中央より上手側しか見えなかったため、両日を比較することは難しいのですが、この日素晴らしいと感じたのは、題名役トゥーランドットの並河寿美さん。ドラマティコ・ソプラノが歌うことが多い役ですが、リリコ・スピントの並河さんの声は、どの音域でも艶やかさが失われず、細く収斂しつつも強い声で、姫の気品と強さを見事に表すものでした。
カラフの福井敬さんは流石!歌い出しに拳を突き出すような独特の強いアクセントが入るのがやや気にはなりましたが、それでもやはり美しい声と十分な声量。今回は清水徹太郎さんの代役でしたが――「困ったときの福井敬」はまだまだ健在でした。
ところで、皇帝アルトゥム。1日目大野徹也さん、2日目林誠さん。「往年の名テノールの最後の花道」とされている役ですが、「本物を出してきた」の感で、キャスティングを知ったときにはのけぞりました。実際その演唱は――どこまで演技かは不明ですが、かなり生々しく老人。龍のあしらわれた豪華な衣裳とともに、説得力大でありました。
ピン・パン・ポンも両日とも素晴らしい演唱で、特にピンの晴雅彦さんと迎肇聡さんはどちらもハッと釘付けになる存在感がありました。テノールのパンとポンは剃髪かつらの扮装で見分けがつかず。ゴメンナサイ(笑)
ところで、2日目の席が唯一よかったのは、ピットから立ち上がってくるオーケストラの響きが十分に享受できたこと。阪マエストロの導く京響の音色は、舞台と一体になったゴージャスさがありつつ、ときにたおやかさもあり、カラフがトゥーランドットに一目惚れした後に「香気」という言葉が何度も出てきましたが、まさにピットから立ち上ってくる響きはオリエンタルな香気をも感じさせるものでした。
さて、ここから演出について。今回の演出は粟國淳さん。
時代設定に沿ったオーソドックスな舞台で、演出に邪魔されず、ストーリー展開や音楽がすぅっと沁み込むように入ってくるものでした。
2日目の午前中に開催された粟國さんによるワークショップも聴きましたが、その中で(コンセプトとしての文脈ではなかったものの)「音楽とドラマトゥルギーを引き立てる」と仰っていて、まさに今回の演出はこれだったのかと思った次第です。
舞台は近年のオペラによくある、紗幕を多用したもので、これが空間の区切り、プロジェクター・スクリーン、さらに後ろに並ぶ合唱を消す(後ろの照明を消して客席から見えなくする)といった役目を果たしていました。
大人数の合唱の出入りが多いためか、出道具は少な目。カラフが叩く銅鑼もスクリーンに映し出されたものでした(素手の拳で叩く)。それゆえ、2幕冒頭のピン・パン・ポンがお茶を飲みながら故郷を懐かしむシーンでの茶道具一式にほっこりしたりも。こういう細かいところの作り込みもこちら観客には嬉しいものです。
と、さて、もう少しワークショップで印象的であったことをここに残しておきたいと思います。
それは、この作品が未完の絶筆であるということ。何故未完であるのか、については、今でも研究が続けられているそうです。プッチーニは病気だけが理由でなく、「書けなくなっていた」のではないか、と。「題材が間違っていたかもしれない」との手紙が残されているそうです。
リューが死んでしまった後をどう描けばいいのか――確かにリューさんが死んだところで終わるのもひとつだけれど、それでは題材が「リューの自己犠牲」=リューが主役、になってしまうわけで。プッチーニは「トリスタンとイゾルデ」のような爆発的な愛を描きたかったのでは?との言及もありました。
もうひとつ興味深かったのは、カラフが挑戦した理由は「一目惚れだけではない」。確かに、祖国を奪われた王子が別の国の君主になれる、美女と国家を一度に手に入れることができる大チャンスに果敢に挑戦した物語、という見方もできる。元はおとぎ話なので、深掘りは意味がないのかもしれませんが、目から鱗の話でした。
長々と色々書きましたが、最後に――私としては、4度目にしてやっとハッピーエンドの「トゥーランドット」を観ることができて悲願達成なり。感動とともに安堵の心持ちでもあります。
ちなみに前3回の鑑賞時の幕切れはというと――1回目:プッチーニの絶筆箇所即ちリューの死で終わり(トスカニーニによる初演の模倣)、2回目:トゥーランドット姫が刃物で首を切って自害(7年前びわ湖での鑑賞。途中に停電もありました)、3回目:トゥーランドット姫が毒を呷って自死(一昨年ベルリンで見た超ありえない演出)。
というわけで――幕切れには「寝てはならぬ」の旋律を使うこと、というのはプッチーニの遺言だったそうですが、そこで合唱が「Gloria!」と歌っていることに、今回初めて気づいた次第です。カラフの歌う「Vincero!(私は勝つ)」に呼応しているのですね。それくらい、これまで演出に鑑賞を邪魔されていた、ということでもあります。粟國さんに感謝。
ちなみに今回はアルファーノ補筆版の短縮版での上演。
後からプログラムを読んでいて、今年は初演からちょうど100年であることを知りました。これはもっとフィーチャーしてもよかったのでは?



◇座席
1日目:1階下手側K列通路側。良く見える席だったけれど、もう2~3列後ろがさらに良かったかも?
2日目(前述):4階下手側バルコニー、超見切れ席。
ところで、唯一残念だったのは、両日とも率先して叫ぶ「ブラボーおじさん」がいなかったこと(カーテンコールで歌手個々へのブラボーはありました)。熱演に花を添えるものでもあるのですが。自分ではできないので他力本願(笑)。

