2026年3月14日(土) 牛田智大 ピアノ・リサイタル

14時開演 ザ・シンフォニーホール

牛田智大さんのオール・ブラームス・プログラムによるリサイタル。

ブラームスが60歳前に作曲した4つの曲集で構成されたプログラム。ホールで受け取ったチラシを見て、惹かれるものがあり足を運びました。

ピアノはヤマハ。通常の舞台中央ではなく、やや上手寄り(中央がピアニストになる位置)に置かれ、椅子がベンチ型ではなくトムソン型だったのは、演奏の前に何か「拘り」を感じさせるものがありました。

この曲集は、ブラームスが精神的に苦境に陥っていた時期に書かれたもので、内省的であったり、孤独、寂寥、といったものを感じさせる作品もある一方、カプリッチョ(奇想曲)では激しい表現、ラプソディでは民族的なリズムが取り入れてあったり、と、連続して演奏されても飽きない構成でもあります。

冒頭「7つの幻想曲」1曲目の「奇想曲」は、その激しい表現でいきなり始まるのですが、牛田さんは「いきなり」感を抑えた表現で、それによって逆に惹きつけられました。これは全曲に亘って同様。ピアノの鳴らし方が巧みで、ブラームス特有のさりげなく不協和音が差し込まれていたりする凝った和音のひとつひとつを意味あるものとして受け取ることができる、そんな演奏でした。美音の持ち主でもあるので、内省的な表現の美しさは言うまでもなく。

その優れたピアノで、どこを切り取っても「ブラームス」の作品世界にどっぷりと浸ることができました。振り返ると、「飽きない構成」でもあるけれど「飽きさせない演奏」でもあったのだと感じたところです。

前半に「7つの幻想曲」、「3つの間奏曲」。後半に「6つの小品」、「4つの小品」。前半後半それぞれに、曲集間に間を設けず(前半では拍手が起こったものの会釈のみですぐ次の演奏へ。後半では聴衆学習済)、ひと続きで演奏されましたが、それもこの演奏会にふさわしい表現のひとつであったと思います。

最後の「ラプソディ」は、その名の通り、ドラマティックな盛り上がり。末尾のシンフォニックな響きは素晴らしく、この音場にずっと留まっていたい、と感じるものでした。

盛大な拍手の後、アンコールの1曲目で弾かれたのはショパン「舟歌」。最初の和音が響いたときの喜びたるや(この曲大好きなので)。さざ波の揺らめき、細かな粒立ちの美しさに感涙。

――と、ここで、ブラームスとショパンの親和性に思いが及びました。ともに、標題を持たない「絶対音楽」を作り続けた作曲家。そういう意味では、ブラームスの師で、リサイタルで共にプログラムに並べられることの多いシューマンよりも、ショパンの方が相性がいいのではなかろうか、と。ショパンを弾いたのは、ファンサービスでもあったかも知れませんが、牛田さんのセンスの良さも感じました。

 

さてところで、少し長くなりますが、以前「ショパンコンクールの雑感」で記した続きを。牛田さんについて、私が勝手に思っていたことです。

実力も人気も兼ね備えながら、何故かコンクールではなかなか望む結果が得られてこなかった牛田さん。昨年のショパンコンクールの3次予選をライブで視聴したのですが(ライブ視聴したのはこの時間帯のみでした)――よい演奏だと感じはしたものの、選曲からしてどこか内省的で、自分と闘っているような印象を抱かせるものでした。そのすぐ後に弾いたワン・ズートンさんの豊かに鳴るピアノと比べると、コンクールという場でのアピールが弱いのではないか、と危惧の念を抱いたのですが――的中してしまいました。

その、誠実であるがために何か突き抜けられない感じと、ブラームス作品は相性がよさそうに思え、また、敢えてブラームスのみ、というのは潔い、と思ったのが、このリサイタルに足を運んだ動機でもありました。

やはり素晴らしいピアニストであるし、これから巨匠への道を歩んでいくピアニストでもあるな、というのが聴き終わった後の実感です。

ルックスが良いがためのアイドル的人気、そのファン層がクラオタには拒絶感を抱かせるものであったりもし、なかなか足が向かなかったのですが(ゴメンナサイ)、今後も聴いていきたい演奏家だと感じている次第です。

◇アンコール
ショパン:舟歌 嬰ヘ長調Op.60、ノクターン第17番ロ長調Op.62-1

◇座席
(いつもの)2階最前列下手側。
曲目ゆえか空席が目立ち、3階席左右バルコニーは全て空席(売り止め?)、2階席バルコニーも殆ど埋まっていないブロックあり。休憩時のトイレ込み具合は、行ってないのでわかりません(笑)

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