2020年11月12日(木)飯森範親指揮/日本センチュリー交響楽団第250回定期演奏会 ベートーヴェン歌劇「フィデリオ」

19時開演 シンフォニー・ホール

ベートーヴェン生誕250年がちょうど定期演奏会250回にあたっていて、これ以上ないくらいの必然性での歌劇「フィデリオ」。コロナ禍以降、やっと初めて生で鑑賞できるオペラがこの作品で良かった!と行く前もそして帰り道にも感じた大満足の演奏会でした。

実は、今年の年明けすぐの瞬間に、びわ湖ホールのジルヴェスターコンサートでこの「フィデリオ」のフィナーレの合唱を歌いました。が、この楽曲、「ベートーヴェンらしく」ものすごく歌いにくかった(苦しい!)のです。それもあって、このオペラ自体にもあまり興味を持てずにいたのですが、今回いつもの「予習」でDVDを鑑賞したところ、音楽的に気づくところがいくつかあり、また明快なストーリー、そして2幕であっさり終わるところ(そこ?)など、なかなかいい作品だと思い直しました。

音楽的に気づいたことーーそれらはざっくりというと「モーツァルトの真似をして、ワーグナーに真似されている」ということ。
冒頭のマルツェリーネは、「フィガロの結婚」のスザンナみたいだし、終盤でドン・フェルナンドが出てくるところは「ドン・ジョバンニ」の騎士長登場の場面の音楽にそっくり!「正義の登場」というシチュエーションが同じなので、引用したのでしょうか。そして、2幕の序曲を初めて聴いた時は、ワーグナー「神々の黄昏」の前奏曲かと思ってハッとしましたし、途中「ジークフリート」の「ファーフナー」のライトモティーフを連想させるティンパニーも。
そのワーグナーはチャイコフスキーに引用されているし、最近「音楽の連鎖」を発見することが面白くなってきました。

今回のオペラは当初から演奏会形式、ということでしたが、オーケストラの後ろに舞台を設え、そこで歌手が演技を交えながら歌うという形で、演奏会形式よりは通常のオペラに近い上演でした。飛沫を防ぐためにオーケストラの後ろにはアクリル板が立ててあり、合唱団はオルガン席に市松配置で立ち、フェイスシールド+マスクーーこれが、1幕は男声コーラスのみだったので、黒い上下の衣装と黒いマスクで、囚人らしく見えてなかなか効果的でした。狙っていたのかどうかはわかりませんが。ただ、やはりマスクをつけた合唱は声がこもってしまっていて、迫力がそがれてしまって少々残念ではありました。

そして、このオペラも歌手の方々が粒ぞろいでした。レオノーレ木下美穂子さんと、ロッコ山下浩司さんが特に素晴らしかった。お二人とも、つい最近二期会で上演された「フィデリオ」に同役で出られていたので、タイミングとしても良かったのだと思います。ちなみに山下さんは、当初キャストの松位浩さんの帰国が叶わず代役だったとのことです。

しかし、レオノーレを歌いきるのは凄いな、と思いました。フィナーレの合唱までまったく衰えることなく、高音続きでしかもあまり滑らかでない旋律を歌い続けることができる、どのような鍛え方をすればあんな風に歌いこなせるのか、そんなことも考えながら観ていました。

この作品は、祝祭行事として取り上げられることが多いようですが、今回通して鑑賞してそれがよくわかりました。これもベートーヴェンの交響曲と同じく「苦悩から歓喜へ」で、フィナーレの合唱は本当に歓喜に沸いていて・・マスクをしているのをいいことに、私もコッソリと一緒に歌いました。もちろん1オクターブ下で(笑)

飯森マエストロの指揮は明快で力強く美しい。去年はあの指揮で歌ったなーと、そのまま続けていたら今日はあっち側で歌っていたのにな、とちょっぴり残念な気持ちに。マエストロの指揮は本当に歌いやすくて美しくて、今でも心の中であのわかり易さを求めていたりします。

開演前に、当初フロレスタン役であった二塚直紀さんを悼んで、出演者、観客全員での黙祷がありました。二塚さんのことは、今でもことあるごとに思い出しては悲しく残念な気持ちになることがあるのですが、このようにお祈りする機会がなかったことにこのとき気がつきました。こうして黙祷を捧げることで、気持ちの落ち着き場所を得ることができたように思います。この場を設けてくださったことに感謝の念を持ちました。

タイトルとURLをコピーしました