14時開演 ザ・シンフォニーホール
シューベルト最晩年のミサ曲第6番で定期演奏会に登壇しました。
この公演は2年前の8月8日に予定されていたものですが、コロナで中止となり、今年実現したものです。関西フィルハーモニー合唱団に入団して丸3年経ちましたが、ようやく首席指揮者 藤岡幸夫マエストロの指揮で歌うことができました。
定期演奏会というオーケストラのいわば看板商品を首席指揮者が振る、ということはこういうことか、と強く感じた演奏会でした。
指揮者を語るのに「雄弁な棒」という表現がありますが、藤岡マエストロは棒以前にまず「雄弁」。合唱練習で、楽曲の解釈からデュナーミク、アゴーギクそれに発音・発声までかなり細かく指示をされ、かつその熱量が非常に高いので最初は少々当惑しましたが、そのうち先述の考えに至ったのでした。
このシューベルトの作品、練習し始めはなかなかその魅力が掴めませんでした。フーガが多用されているのですが(そのため「ミサ・ソレムニス」に分類されることもあるようです)、「なんだか変」な節回しが多く、最初のうちはソルフェージュの試験でも受けているような気がしたものです(それはそれで面白いのですが)。
しかし、マエストロの指示で楽譜にはない強弱を加えたことで、音楽が立体的に立ちあがってきたのはさすがでした。「お客さんが退屈してしまうからね」とこれはさりげない感じで言われていて、指揮者による音楽づくりの一端を垣間見たような気がしたのでした。
音楽づくりといえば、この演奏では、曲の間に間を置かず、すべてアタッカで繋げて演奏されました。その方が音楽的なメリハリが効いて断然カッコいい!この作品のゴシック・サスペンス的な(あくまで私見ですが、映画のワンシーンが浮かぶような音楽でもあるのです)魅力がいっそう引き立ったと思います。このように作品を魅力あるものとして提示する手腕はやはりさすがだと思った次第です。
と、すっかり観客のような感想を述べていますが・・
私自身はというと、前回自主公演のハイドンでの楽譜ガン見を反省して、今回は指揮者ガン見を目指しました。
完全に暗譜するまでの熱量は掛けなかったのですが(他にもやりたいこといっぱいなので笑)、足掛け3年も練習したこともあり、ほぼ覚えて歌うことができました。前述のややこしいフーガのあたりだけは、他のパートが歌っているときに出だしを確認しておく「カンニング唱法」(←今思いついた)で。マエストロがキュー出ししてくださるのをキャッチしないといけないので、あくまで「チラ見」で、歌い出しの前にはきちんと顔をあげておかなければなりません。フーガの先頭になることはないソプラノの特権でもあります(笑)。
と、マエストロをガン見しながら、でもやっぱりルックスが良いと見る甲斐あり!とついミーハーなことも考えていました(笑)。先月還暦を迎えられたとはとても思えない。容貌も体力も若いままで、経験値のみを積み重ねることができれば最強!と5月にシャルル・デュトワ氏を観ながら思ったことを思い出していました。
翻って、我が身はというと・・立ちっぱなしが足腰には意外に堪えたようで、翌日はフットマッサージに行ってしまったのでした。歌っている途中には感じなかったのですが、どうも足を踏ん張り過ぎていたようです。
オケ合わせは昨年と同様、関フィルの本拠地である門真市のルミエールホールで行われましたが、マエストロの計らいで、昨年のように客席ではなく、ステージの上で歌えました。奥行きを拡げるために反響板を後ろにずらし、ひな壇(オケ用の段差があまりないもの)が合唱団用に設けてあって、その上で割と詰めた状態で歌ったのですが・・こんなに歌いやすいものかと驚きました。
コロナ禍以降、前後左右ディスタンスを取り「個人商店」状態で歌ってきたのですが、離れていても響く声はそれなりに聴こえてくるので、これはこれで良いかなと思っていました。しかし、ハッキリ聴こえる状態で歌うと方向性を共有できるし、隣の呼吸がわかるのでカンニング・ブレスもしやすい。やはり、合唱は「かたまり」としてあるべきだと実感しました。
マスクなし、ディスタンスなし、来年こそは!と期待です。
ところで、最後に・・
この演奏会の前日に、安倍元総理が銃撃され亡くなられるという大変に衝撃的な事件が起こりました。ご自分の状況を把握する暇もないほどの突然の落命に、困惑した魂はどこかをさまよっているのではないか・・”Et vitam venturi seculi ” を歌いながらそんなことを考え、心の中でご冥福をお祈りしたことをここに記しておきたいと思います。