2024年7月12日(金)高関健指揮/関西フィルハーモニー管弦楽団第348回定期演奏会 ブルックナー交響曲第5番

19時開演 ザ・シンフォニーホール

イヤーの今年、関フィルでのブルックナーは交響曲第5番。

緻密なスコア分析でも知られる高関マエストロ、今回は「原典版」での演奏でした。
開演前にプレトークがあり、「原典版」の解説もされていたのですが、着席が遅れて残念ながら大半聞き逃し。終盤に「ハース版を基にしつつ、1878年に完成した楽譜で演奏する」と仰っていたのだけは聞けました。

低弦のピツィカートから始まり、弦楽器が少しずつ重なっていく冒頭部分を聴いたところで、すっきりと整ったオーケストラの響きに魅了され、「今日はいい演奏になる!」と感じました。さすが高関マエストロ。「壮大な響きと明瞭なバランスの両方を獲得しようと努力しています」とSNSに投稿されていましたが、まさにそれが実現された演奏であったと思います。

しかしこの5番、スケルツォはもちろんのこと、それ以外にもそこかしこに諧謔性を感じるのは私だけでしょうか? 解説文に並ぶ「音の大伽藍」「比類のない壮麗さ」「信仰告白」などの文言を見ると、滑稽味を感じるのは間違いであるとはわかるのですが、どうも「本人は至って大真面目なのに何故か笑える」という類のものに思えて仕方ないのです。これがツボっている理由のひとつだったりもするわけですが。

そのひとつとして、ゲネラル・パウゼが多く、たびたびブツ切れになるのが武骨というか不器用というか‥。先日聴いたばかりの7番に比べると洗練されていない感じがするし、むしろ初期の「0番」の方が聴きやすくもあったり‥。

というような聴き方をしていて印象的だったのは、4楽章でのクラリネット・ソロによる1楽章の再現部。これが「ラプソディ・イン・ブルー」の冒頭のような音色と節回しで吹かれたのです。これはマエストロのリクエストだったのでしょうか? これを聴いてしまったので、より諧謔性の印象が強くなってしまいました。そして、なんだかアメリカ的なものをも勝手に感じ始め、終盤の金管を咆哮を聴きながら、この作品、アメリカのオーケストラで聴いてみたい(もちろん生で)、と思ってしまいました。

この日の編成は、弦14-12-10-8-7。下手から 1stヴァイオリン→ヴィオラ→チェロ→2ndヴァイオリン、その後ろにコントラバスという並び。先日の大フィル7番と同じです。ブルックナー・シフト? 色々調べてみたくなりました。

高関マエストロの安定のタクトは、安心感を持って音楽に浸ることができます。オーケストラの響きにどっぷり浸かり、金管の咆哮を浴びる。充実の時間でした。
しかし残念だったのは——演奏にキズ少々、およびフラ拍手にフラBravo。ガックリ。

◇座席
2階最後列。やっぱりブルックナーはここでしょう!の席。

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