2025年10月4日(土) 藤岡幸夫指揮/関西フィルハーモニー管弦楽団第359回定期演奏会 ヴェルディ「レクイエム」

14時開演 ザ・シンフォニーホール

約8ヶ月振りの定期登壇はヴェルディ「レクイエム」。
藤岡幸夫マエストロのこだわりと情熱に満ちたレクイエムでした。

劇的な「怒りの日」ばかりが有名なこの作品、実はフォルテシモよりもピアニシモの方が多く書かれており、その表現にこだわりたい——最初の指揮者練習の時に仰っていたのですが、そう聞いて楽譜を見ると、最強は”ff”であるのに、最弱は”pppp”。また”dolcissimo” も多く書かれていることに気づきました。

本番の演奏も冒頭のチェロからして、同じ舞台にいても聴き取れないくらいの最弱音。しかも本番ではリハーサルよりもさらにテンポが落ち、この極めて静謐な弦に”Requiem”と載せるのは、大勢で歌っているとは言え、怖い。演奏会の「掴み」でもあるし、たいへん緊張を強いられる場面でした。さて、客席にはどう聴こえたのでしょうか。

ソリストは、ソプラノ並河寿美氏、メゾソプラノ福原寿美枝氏、テノール福井敬氏、バリトン大西宇宙氏。豪華です。特に福井敬さん——後ろで歌える日が来るとは——合唱を続けていてよかった‥。この4名の方へのオファーは2年前から出されていたとのこと。マエストロに感謝。

「ヴェルレク」を初めて歌ったのは合唱を始めて間もなくのころで、ラテン語の典礼文も頭に入っておらず、しかも暗譜だったので、歌詞を覚えるのにもひと苦労、大変だった記憶があるのですが(その分達成感はありました)、今回は「あれ、こんなに歌うところ少なかったっけ?」の感。多少余裕が出てきた分、歌うところとソリストを聴くところと両方楽しめました。ソリストの歌唱がいずれも素晴らしいのはいうまでもなく。

マエストロは、ソリストの立ち位置は第九以外オーケストラの前ということに決めているとのことで、その理由は、オケの後ろでは声を飛ばさなければならないので声量が大きくなり、ピアニシモの表現がしにくくなるから、とのこと。深く納得。

このように、マエストロの深い考察に基づく「こうであるからこうする」のコンセプトはいずれも明快。他にも——この公演は、”Dies Irae” の後に休憩が入ったのですが(慣例的に休憩なしで行われる公演が殆どなので珍しい)、当時ヴェルディがこの作品を演奏する際は必ず休憩を入れていたそうです。後半では世界観が異なるのが大きな理由だそうですが(”Sanctus”の2重フーガで合唱を2群に分けるためでもあったとのこと)、確かに”Dies Irae”の終曲”Lacrimosa”で一度幕が下り、後半は第2幕という感じがします。

ソリストも我々合唱も休憩ありの方がもちろん体が楽なので、パフォーマンスが向上し(低下せず)、さらにはお客様もトイレの心配がなく(笑)、いいことづくめであると今回気づいた次第です。休憩なしが当たり前と思っていましたが、さにあらず。慣例疑うべし。こんなところで耐性を発揮しても意味がない訳で。

さて、この作品に対するマエストロのこだわりのもうひとつは、初演時にソプラノ・ソロを歌ったテレーザ・ストルツがヴェルディの愛人であり、ヴェルディは妻への罪悪感から、終曲 “Libera me” では、その贖罪を愛人に歌わせている、と。

並河さんの歌唱は素晴らしく、強く厚みがありつつ、高音は細く収斂された艶やかな美しさ。後ろで聴き惚れつつ、何となくトスカを連想したのですが、まさにプリマドンナ。オペラのごとく劇的な絶唱は感動的でした。

この”Libera me”の山場、”Domine、Libera me de morte eterna” の合唱、マエストロ練習時の楽譜への書き込みは「生身のにんげんの叫び」。本番でのマエストロは鬼気迫る形相で、こちら合唱も同様の表情で歌いました。いつも辛口の夫が「最後感動して涙が出た」とボソリと言ってくれましたが——さて、他のお客様はどのように感じてくださったのでしょうか。

と、しかし、合唱を長く続けていると、年々思うことが増えてくるのですが——もっと基礎的な部分で詰めるべきところがたくさんあったように思います。発音・発声はもとより、複付点のリズムなど1週間前の大響コーラスの揃い具合を思うと、まだまだ足りていないと感じました。周りから聞こえてくる「あー」「えー」などの浅い発声も毎度ながら気になる——。

恵まれた状況で舞台に立てていることは承知しつつ、感謝の念も抱きつつ——でもやっぱり最後に毒を吐いてしまいました。申し訳ありません。

タイトルとURLをコピーしました