イリーナ・メジューエワ「ピアノの名曲」

ロシア出身のピアニスト、イリーナ・メジューエワさんの著書「ピアノの名曲 聴きどころ 弾きどころ」。京都在住のメジューエワさんは、関西では聴くチャンスの多いピアニスト。「楚々とした美しい人」という印象でしたが、この本を読んで、その楽曲分析の深さ、知識の広範さに感嘆を念を持ちました。

作曲家ごとに章立てがしてあり、取り上げられている作曲家は10人。
第1章 バッハ
第2章 モーツァルト
第3章 ベートーヴェン
第4章 シューベルト
第5章 シューマン
第6章 ショパン
第7章 リスト
第8章 ムソルグスキー
第9章 ドビュッシー・ラヴェル

それぞれの作曲家に対する著者自身の思いが述べられていて、そこにちょっとしたユーモアが差し挟んであるのも楽しい。文章構成にも音楽家ならではの「聴衆を飽きさせない」配慮がされてあるのが感じられます。そして、ロシアなどの音楽家の著書や語録からの興味深い引用も多数出てくるのですが、おそらくそれらは日本語訳で出版されていないと思われ、それだけでもこの書籍が出版された意義はあるのではないかと思いました。

私などはそれだけで十分楽しいのですが、作品解説が充実していて、具体的に作品の譜面を載せたうえで、その解釈や弾き方なども説明してあるので、ピアノを学んでいる人にとっては教科書のように使えるのではないかと思います。
また、その作品のお薦め演奏の紹介もあり、聴き手としてもありがたいです。

作曲家に対する思いの中には、私が鑑賞する際に感じることや、かつてピアノを習っていたときに漠然と感じていたことへの言及があり、「やっぱりそうだったんだー」というスッキリ感も味わえました。その一部をご紹介します。

「ベートーヴェンはたぶん、四つの声部の論理、ハーモニーの動きを優先するんです。(中略)弾く人のことは考えていない(笑)」
これは、声楽作品にも通じるな、と苦笑です。歌う人のことは考えていない(笑)

「ショパンの作品は、どれだけ難しくても最終的に手にとって自然に書かれている。無理がないから、弾いていて気持ちがいい。」
そうなんです。私は難易度の高い作品は弾けませんが、それでもショパンを弾くのは「快感」なのです。フラット♭が5つとかシャープ♯が4つとか、最初に譜面を見るとゾッとしますが、弾けるようになると指が動かしやすい。さすが「ショパン」だな、と思って弾いていましたが、やはりそうだったのですね。

リストについては、知人でもあったアントン・ルビンシテインの言葉「どの作品を見ても必要以上にポーズをとる。例えば宗教音楽では神様の前でポーズをとる。オーケストラ曲では聴衆の前で格好をつける。トランスクリプション(編曲)では、オリジナルの作曲家に対して『これでどうだ』と格好をつける」
私がリストに対して抱いていた、とっつきにくさ、親しみの感じられなさの所以はこれだな、と合点がいった次第です(笑)

それから、ムソルグスキー。
ロシアでピアノといえばラフマニノフでは?なぜムソルグスキーが選んであるのだろう、と当初やや不思議に思いましたが、紹介してあるのが「展覧会の絵」で、これがとても興味深かった。
まず、ロシア人にとって、ラヴェルのオーケストレーションは「説明しすぎ」で、全体のスケールが小さくなっているように感じる、と。
これを読んでから、ラヴェル版を聴いてみましたが、なるほど確かに特定の楽器を当てはめてしまうことによりイメージが限定されてしまい、聴き手から想像する自由を奪っているように聴こえる。そもそも冒頭のトランペットの輝かしい響きなどは、この曲に対するロシア人の印象になじまないのかもしれないな、とも思いました。

それから、これは私の私的体験なのですが、4曲目の「ビドロ」。
高校の音楽の授業で鑑賞曲として1月頃にこの「展覧会の絵」を聴いていたのですが、ちょうどその頃が将来の進路について決めなければならない時期だったのです。具体的には「理系に進むか、文系に進むか」。今思っても、これが人生最大の選択でした。私は自他ともに認める「文系の頭」なのですが、建築方面に興味があったので、そちらに進むためには「理系」。今でこそ「リケジョ」が定着した感がありますが、当時はまだまだ理系に進む女子は少なかった。で、ものすごく悩んだわけです。そして、その「懊悩煩悶する頭の中」にずーっと流れていたのが、この重たい短調の「ビドロ」。たしか教科書には「ポーランドの牛車」と書かれていたと記憶しています。

それで、この本に書かれている解説。
「『ビドロ』は家畜を意味するポーランド語ですが、ロシア人がこの言葉で浮かぶイメージは『人生の重荷』。重たいもの、逃げられない、運命的なものというイメージ」。更には「一説によると、支配者であるロシアに反抗したポーランド人が処刑され吊るされている様子を描いた絵ではないかともいわれていて、『Bydlo』がポーランド語であることから、ポーランド人の苦しみを連想・・」とあります。

牛車を描いただけにしてはものすごく重苦しい曲調だなぁ、とうっすら感じていましたが、この解説を読んですとんと腑に落ちました。そして、「展覧会の絵」には他に明るい曲や軽やかな曲があるにも拘らず、当時の悩める私がこの曲にシンクロしてしまった理由もよくわかったのです。
メジューエワさん、ありがとう!という心境です。

ピアノの話からずいぶんそれてしまいましたが(笑)、
この本は、ずっと傍らに置いて読み続ける本だと思います。

そして、このコロナ禍が明けたら、ぜひともメジューエワさんの演奏を聴きに行きたい!
その日を楽しみに待つことにします。

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