19時開演 いずみホール
昨年の衝撃的鑑賞体験から1年余り。
今年もカントロフ氏のリサイタルを聴くことができました。
ブラームスとシューベルトを組み合わせたプログラムでしたが、他とはひと味もふた味も異なる、選曲理由を深掘りしたくなるラインナップ。
ブラームスがその音楽を愛していた、というところからシューベルト作品と組み合わせたようですが、それがソナタなどではなく歌曲。珍しい選曲ですが、リストによるピアノ編曲版で、大いに歌い、弾き、語る。そのピアニズムを発揮できるプログラムであったと思います。
冒頭ブラームスのソナタ第1番から、もうカントロフの世界にぐいっと引き込まれてしまいました。圧倒的な迫力と音量と打鍵技術——正直に打ち明けると、実は今現在も先日の真央さんの余韻を引きずっているのですが、それとは対極的な横幅感のあるゴージャス、グラマラスな響き。
いずみホールのスタインウェイは独特の音色で、なぜかいつも半透明のキャンディを思い浮べてしまうのですが、そのキャンディ音にカントロフ音が付加された不思議な音色で聴こえてきました(私の記憶のためだけに書いています笑)。
ソナタに続くのは、ブラームスが右手を痛めたクララ・シューマンに捧げた、バッハ「シャコンヌ」の左手のための編曲版。左手だけの演奏でホールに満ち溢れる豊かな音楽。もうこれだけで満足してしまうほどの充実感でした。
後半はリスト編曲のシューベルト歌曲が5作品並べられていましたが、歌曲のピアノ伴奏部分をほぼ左手が担うこの作品群への布石として、左手のシャコンヌが置かれたのかと推察しました。それとともに、ブラームスとクララについても暗示したかったのかもしれません。
この歌曲作品は、リストにしては超絶技巧が少なめで(といってもかなりの難易度)、「歌うこと」に重点が置かれた楽曲。この演奏はもう完全なる「歌」。脳内にフィッシャー=ディースカウ、マティアス・ゲルネといったバリトン歌手の顔が浮かんできて、歌声が聴こえてくるようでした。ここまでピアノでレガートで歌うことができるとは。
終曲のシューベルト「さすらい人」。
カントロフ氏が弾くと、ものすごい曲に聴こえてしまうのです。シューベルトってこんなにガンガンにピアノが弾ける人だったんだろうか?と疑問が浮かびつつも、圧倒的な演奏に惚れ惚れ。
それにしても、この稀有のストーリー・テラーの才能。別々の作品をアセンブルし、自分なりの物語をつくり上げるのが好みのようなので、既存のストーリーには興味はないのかもしれませんが、「展覧会の絵」をぜひ彼の演奏で聴いてみたい。「こびと」とか「牛車」とか迫力ありそうです(既に妄想が・・)。
ところでもうひとつ、この日印象的だったのは、会場の静けさ。
外界からのあらゆる音を人工的に遮断したホールという空間、その内部においても何の物音も立たず、曲間、楽章間に真の「無音」状態が造り出されたのです。それも何度も。聴衆の意識の高さと、聴衆を集中させる演奏家の技量。その双方が揃って初めて成り立つ、稀有の状況でした。
◇アンコール
シューベルト:「万霊節の日のための連祷」D343
ストラヴィンスキー:「火の鳥」終曲
ヴェチェイ:「悲しきワルツ」
モンポウ:「歌と踊り」第6番
◇座席
O列 下手通路側
チケット忘れてひと騒動。コンビニで発券したことをすっかり忘れ、ホールで発券と思い込み。ホールの方にはご迷惑をお掛けしましたが、なんとかなりました。ヤレヤレ。コンサートに行き過ぎの弊害!
◇その他
プログラム、CD購入者特典のサイン会あり。
もちろん並びました!
待っている間に「なにか一言」をひねり出しても語学力ナシなので浮かばず。苦肉の策?で「メルシーボークー」と言ってみたら「アリガトウゴザイマス」と返されました(笑)
舞台上での鬼才ぶりとは打って変わって柔らかな印象の好青年。
そして、ペンを持つその手は・・左手でした!やっぱり~!