2023年11月18日(土)沼尻竜典指揮/京都市交響楽団「ニーベルングの指環」より

14時30分開演 京都コンサートホール 大ホール

今年3月の「びわ湖ワーグナー10完遂」でロス状態の私を救済してくれるかのような演奏会でした。

沼尻マエストロと京響、それにブリュンヒルデとヴォータンも同じ歌手の方で、まさにびわ湖ワーグナーの再現。その上、オペラ上演では弦12型であったオーケストラは弦16型の大編成で、それが舞台上に並んだ状態で鑑賞できるという、願ってもない演奏会でした。

「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲から始まったのですが、オーケストラの豪華な響きとともに、ピッタリとくるテンポに掴まれました。この前奏曲、録音ものを聴いても、ほんのちょっと遅すぎたり速すぎたりして、なかなかしっくりくる演奏に巡り会わないのですが、この演奏は「そうそう、このテンポ!」。マエストロの、このいつもピッタリくるテンポ感が好きだったのだ(何故か過去形)と冒頭からウルっと来てしまいました。

今回の座席は2階下手側サイドで、微妙な斜め上からの俯瞰。下手側配置の4台のハープやワーグナー・テューバは見えにくく、視覚的にワーグナーを体感するにはやや不都合(つい下手側を選んでしまう習癖)。一方で、チェロ、コントラバスと向き合っていたので低弦の響きとヴィオラを加えた内声部がよく聴こえてきました。対旋律が主旋律よりも響いてくることもあり、ワーグナーの音楽を解剖して内臓を見ているような感覚。正面席で上から俯瞰しているのとは異なる新たな鑑賞体験で、これはこれで悪くない、と感じました。

前半のもう1曲は「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と「イゾルデの愛の死」。
「官能的」とも言われる音楽ですが、私が最もそれを感じるのは、超高音のヴァイオリン。同じ感覚を「マイスタージンガー」にも抱くことがあり、この感情に直接訴えてくる高音の旋律は、音楽を聴く究極の喜びであるとも思っています。「この音楽だけあればよい」とすら思ってしまう魔力、ワーグナーの毒。これほどのオーケストラ作品は後にも先にもないのではないかとすら思ってしまうロマン派の頂点。もし誰かひとりの作曲家しか聴いてはならない、となったとしたら、私が選ぶのは間違いなくワーグナー!などと考えたりもしました。

「イゾルデの愛の死」は、ブリュンヒルデ役のステファニー・ミュター氏。黒地にシルバーのドレスはワルキューレの鎧をイメージさせるものでしたが‥デカい!(失礼‥)しかしその体格に見合った、16型のオケをものともしない豊かな声量で、瑞々しい声質とコントロールのきいた高音が真っ直ぐに飛んできました。近年ではバイロイト音楽祭にも出演されているとのことで、納得の歌唱。びわ湖で歌われたときよりも声に磨きがかかっていたようにも感じました。

後半は「ニーベルングの指環」のハイライト。
マエストロの編曲により、4つの楽劇のハイライトがひと続きとなって演奏されました。管弦楽曲として単独の演奏も多い前奏曲などのほか、「ワルキューレ」幕切れのヴォータン、「神々の黄昏」幕切れのブリュンヒルデの歌唱がそれぞれ入る、まさに「いいとこ取り」。ヴォータン青山さんをまた聴けるのも嬉しい——ふくよかにたっぷりと響くバリトン、やはり素晴らしかったです。

「指環」に関しては、びわ湖リングの4年間で自分なりにかなり勉強したので、プログラム付属の対訳を見るまでもなく歌の内容は把握できており、ライトモティーフが次々現れるたび、その美しい響きと、自分自身の思い入れとで背中はゾクゾク、感動しっぱなし。前述の通り「ワーグナーさえあればよい」心境で、どっぷりと音楽に浸りました。

客入りが少なめだったのが少々気掛かりで——ダイジェスト版では全国からワグネリアンを呼べるほどの吸引力はないのか、それともコアなクラシック・ファンはベルリン・フィルの来日公演で姫路に行ってしまったのか?——「沼尻マエストロ/京響ワーグナー」をシリーズ化していただけないかと期待しているのですが、暗雲?——とりあえずアンケートにはその希望を書いて提出しました。願いが叶いますように!

 

◇座席
前述の通り2階下手側サイド。音はやや減衰気味。先日のコンセルトヘボウの席の方が音響は良い。最後尾の席で隣は10席くらいの空き(ポツンとひとり)。心置きなく前のめりで鑑賞し、スタオベも行いました。オタク(笑)

◇その他
マエストロの両腕が「5時35分」くらいの時点で、フラブラ+フラ拍手。残念!
しかし追随がなく一旦収束。その後マエストロの腕が降りきったところであらためての拍手。フラブラおじさん、いたたまれなかったかも?

タイトルとURLをコピーしました