14時開演 フェニーチェ堺 大ホール
9月末とは言えまだまだ暑い日々が続くなか、海外オケ来日公演の季節がやってきました。
昨年現地で聴いたばかりのスカラ座フィル。その際のブログにも書きましたが、響かない劇場と上手いとは思えないオーケストラの演奏にやや落胆し、このオーケストラが来日しても行くことはないだろう、と思っていたのですが——指揮チョン・ミョンフン、ピアノ藤田真央とくれば話は別、行かないわけにはいきません。というわけで、3年振りにフェニーチェ堺に出掛けました。
ヴェルディ「運命の力」序曲、ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番およびチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」という、予習不要の王道名曲プログラム。
現地スカラ座での落胆のひとつ、ヴァイオリンについては、あれはいったい何だったのだろう?と思えるほど美しいものでした。輝きと柔らかさ。ドイツのシンフォニー・オーケストラのような分厚い響きとは異なり、「この上にテノール独唱が乗ったらさぞかし美しかろう」と思わせる音色。そう思って聴くからかもしれませんが、オーケストラだけで完結する音楽を多く演奏している楽団とはひと味ちがう、伴奏に慣れたサウンドだと感じました。
木管類——クラリネット、オーボエ、ファゴットは、現地での印象通り、音が野太い。「ラインの黄金」では、クラリネットがホルンを超えて聴こえてくるのにガッカリしたのですが、それは劇場の音響バランスのせいだとしても、楽器自体の音量が常に大きいのでは?と感じました。普段響かない劇場で頑張って吹いているせいでしょうか?
実は初めて生で拝見するチョン・ミョンフン マエストロ。N響などでの演奏の映像を見て「あのカッコ良さはなんなのだろう」と感じていましたが——実際に目の当たりにして確信しました。
最近、「よく動く指揮者」の演奏に触れることが多いですが、それとは対極的に殆ど立ち位置を変えない。両脚を広げて立ち、ほぼそのままの姿勢。ヴァイオリンの方に90度向くようなこともなし。泰然自若、背中に感じるオーラ。無言で「俺について来い」と語っているようです。動かずとも奏者の求心力が働く、そんな「マエストロ」なのでしょう。
と、さて、最大のお目当て、藤田真央さんの「ラフ2」。シャイー指揮スカラ座での名演からルツェルン音楽祭での更なる名演に繋がった作品。生で聴くのは初めてでした。
冒頭の低音が鳴った瞬間、さらに進化した真央さんを感じました。倍音を多く含むなんとも言えない深みのある音色。背筋がゾクっとしました。そこからは、もういつもの美音がひとつひとつすべて聴こえるあの「真央ワールド」。再びその音楽に触れられて幸せ——だったのですが、どうしたことでしょう、あまり心が動かない自分が出現。あろうことか途中で瞼が下がってきたりも。
何が原因かはわかりませんが——オケ特有の音色がロシア音楽には不似合だったからか、テンポのゆらぎが少なかったのか、オーケストラの演奏にいま一つ熱量が足りなかったのか、はたまたツアー最終日で慣れが出ていたのか。ラフマニノフ特有の畳みかけるようなロマンチシズムが感じられなかったのです。
それは、悲愴でも同じく。
較べるのはあまり好みではないですが、5年前に聴いた、ゲルギエフ指揮ウィーン・フィルの演奏では、聴きながらいくつもの情景が頭に浮かんできたのですが、そのような体験を得ることもできず。美しい演奏ではあったけれど、それ以上の「何か」が欲しいところでした。
チケット代の高い海外オケの公演だからといって、無理に感動しなくていい、と最近やっと感じ始め——たまにはこんな感想でもよいかと思う今日この頃。雑でスミマセン。
◇ソリストアンコール
モーツァルト:ピアノソナタ K.545 第一楽章
サントリーホールの公演ではシェーンベルクを弾いたそうですが、大阪でそれはないだろうと予想していたところ、まさかの?誰もが知るハ長調のソナタ。ピアノとホール音響と聴衆を試すかのような超弱音での入り、モリモリの装飾音、おまけに最後の左手をわざと外してギャフン!アマデウスな真央さんでした。
◇オーケストラアンコール
マスカーニ:「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
ロッシーニ:「ウィリアム・テル」序曲
カーテンコールは大盛り上がり。
総立ちのスタンディング・オヴェイション。マエストロの一般参賀、と思いきや、奏者の方々も舞台に現れ、お互いに手を振り合い、ツアー最終日に相応しい盛り上がりで終演しました。