2021年7月9日(金)高関健指揮/関西フィルハーモニー管弦楽団第321回定期演奏会 ショスタコーヴィチ交響曲第8番

19時開演 ザ・シンフォニーホール

先月定期に登壇してからあっという間に3週間。再び観客に戻って客席で楽しませていただきました。

高関マエストロ指揮の演奏会はこのブログを始めてから初めて。それが意外な気がするのは昨年来TVで拝見する機会が多いためかと思いましたが、いえ、それよりもTwitter(笑)。TVでの落ち着いたトーンの語り口も好きですが、高度にマニアックな内容のTwitterもほぼ毎日楽しませていただいています。

前半は、首席クラリネット奏者の梅本貴子さんがソリストのウェーバーのクラリネット協奏曲第1番。モーツァルト以外のクラリネット協奏曲を聴くのは今回が初めてだったのですが、改めてクラリネットは音域の広い楽器であり、しかも高音域と低音域では音色のキャラクターがまるで異なる、ということを再認識しました。中音域から下は深くまろやかな音色であるのに、高音域では「あられもない」音色になり、知性的な年配女性と「ギャル」が1本の楽器に同居しているかのよう。この楽曲では、その下品になるぎりぎり一歩手前のところで華やかな超絶技巧が披露されていました。

そして、中学・高校と吹奏楽部でクラリネットを演奏していたにも拘わらず、吹奏楽というジャンルが好きになれないのは、このクラリネットの高音の音色が主な要因なのだとこれも聴きながら再認識したのでした。頼むから中低音域のみで歌わせて欲しい(笑)。梅本さんの演奏は素晴らしかったのですが、ついそんなことを考えてしまったのでした。

後半はショスタコーヴィチの交響曲第8番。
先月大フィル定期で第1番を聴いたばかりで、ショスタコーヴィチは最近ちょっとした「マイブーム」。先日市立図書館でなんとなく伝記本を手にとってしまい、予習がてら読み進めていますが、ショスタコーヴィチほど、その時代背景とは切り離せない作品を残した作曲家はいないように思えます。その本にたびたび登場する形容詞は「二枚舌」。人が何かを作り出す際には必ず何らかの「与条件」が必要になってくるものですが、ショスタコーヴィチにとっては「本音を語れない」ことがその与条件のひとつであったのでしょう。支配者の要求に応えると見せかける一方で彼らの無知をあざ笑うかのような仕掛けを施し、ギリギリの線を狙っている。命がけのゲームのようです。そして、そのちりばめられた「仕掛け」が後世の研究によって明らかにされていくという、ミステリーのような楽しみ方もできる。

そんないろいろを調べ、考えながら聴くのは楽しいのですが、しかし、自宅で聴くとなかなか集中して聴けない。ホールで集中して、オーケストラから放たれる大爆音に浸りながら聴くのが大きな醍醐味です。

この第8番はしかし、のちの作品に現れる「DSCH音型」などの二重構造は顕著でなく、仕掛け解読の労は少なくて済みます。独ソ戦さなかに作られたこの作品から感じ取れるのは戦争のあらゆる局面。死者への弔いに始まり、状況の緊迫を示す弦楽器の機械的な刻み、管楽器による阿鼻叫喚、不吉な予兆の長い長いスネアドラムのロール、戦闘の轟音オーケストラの最強音、そしてモノローグ。

1時間強にわたる「戦争絵巻」の世界にどっぷり浸かり、堪能したものの、しかしやはり少々疲れました(笑)
自宅で聴いていたときはやや物足りなさを感じたコーダも、じかに何度も爆音を聴いた後ではその穏やかな結びに納得し、心鎮まる思いがしたのでした。

◇座席
2階上手側の4列目即ち「DD」列。
D.D.Shostakovich、ドミートリィ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ。オケ事務局に電話で頼んだ座席でしたが、ショスタコーヴィチを連想させるぴったりの席!(笑)「ドミートリエヴィチ」は父の名前に由来する「父称」。予習の段階で得た雑知識です。

◇その他
演奏会プログラムの解説文。今回の解説は音大の先生によるものでしたが、カッコ書きが多くて読みづらい。建築基準法施行令を読んでいるみたいです(笑)。しかも特段カッコ書きにする必要が感じられない箇所が殆どで、文章を書く際にカッコ書きの多用は避けた方がよい、と学びました。

 

(以降は予習本からの抜粋、備忘として残します)

1943年7月作曲始める。
ナチス・ドイツ軍はソ連から敗走。第1楽章は月内には完成。
2楽章以降は、モスクワ郊外イワーノヴォの別荘にて、約2か月で一気に仕上げる。イワーノヴォの別荘とは、町の養鶏場ソフホーズを改築した保養施設「作曲家の創造と休息の家」で、ハチャトゥリヤン、グリエール、ムラデリ、プロコフィエフら錚々たる面々が家族ぐるみで寝起きを共にしていた。午後5時を過ぎると皆でバレーボールを楽しんでいた。この地は戦禍から遠く、束の間の平和の中、作曲家たちが集中して創作活動ができていた。

ショスタコーヴィチにはかつて鶏舎だった小屋が与えられ、壁に打ちつけられたカウンターのような杭?に向かって作曲。スコアが完成するまで他の作曲家はここからピアノの音を聴いていない。ピアノに触れずに書き上げた。

全5楽章。ハ短調の調性はLvB5番を意識。

第一楽章、アダージョ・アレグロ・アダージョABAのソナタ形式。
第二楽章、アレグレットとスケルツォ。グロテスクな風刺だが第一番、第九番ほどアイロニーの純度は高くない。ドイツの流行歌「ロザムンデ」のパロディと「ジャズ組曲第二番」が織り込まれる。

第三楽章、アレグロノントロッポ。弦のメカニックな運動。トランペットによる勝利の凱歌ギャロップ。スネアとともに最大のクライマックス。

第四楽章、第三楽章から切れ目なく接続。壮麗かつ喜劇的なプロローグを持つパッサカリア(パッサカリア(伊:passacaglia) バロック音楽の器楽形式の一。低声部で同一音形が繰り返され、上声部で変奏が行われる、荘重な三拍子の曲。スペインに起源を持ち、スペイン語の pasear (歩く)と calle (通り)に由来している)

第五楽章、アレグレット・アダージョ・アレグレットによるロンドソナタ形式。パストラル風の明るい主題の呈示だが中間部に来て再び暴力的なマッスイメージの再現。総じて世界には光が感じられるが、世界の原状回復からはほど遠く、廃墟と荒れ野に滞る空気と光だけの世界であり人間の姿はどこにも存在しない。

プロコフィエフの感想「幻滅したとまでは言わないが、何故か思っていたほどには魅了されなかった。1,3,5楽章のみであればこの作品もめぐる議論ははるかに小さくなっただろう」

タイトルとURLをコピーしました