11時~ びわ湖ホール 中ホール
今年もこの季節がやってきました。びわ湖ホールのワーグナー。
セミナーやプレトークで予習をした後、ゲネプロ見学→本番を鑑賞、というルーティン、毎年の大きな楽しみなのです。
このプレトーク、司会の藤野先生の理路整然としたお話と進行(それに美声)、岡田先生のズバズバ発言、沼尻マエストロのユーモアのバランスが絶妙で、作品の背景、その演奏やちょっとした裏話などの知識も得られるという(しかも無料で)なんとも有意義なもので、今回も大いに楽しませていただきました。
その内容について、備忘録として以下記述します。
(読んでいただくことを前提としていないです。かなりオタクです)
・ローエングリンとは何者か
アウトロー、その時代の「芸人」(祭りの時やってきて終われば去っていく)、素性を明かさない、結婚によって「戸籍」を得ようとする、ドレスデン革命の失敗により亡命したワーグナー自身の投影?因みに亡命中であったため、リスト指揮による初演をワーグナー自身は聴けていない。
白鳥は「純血」のメタファー?「純血」の思想はやがてナチスに利用される。
なお、岡田先生はローエングリン=ウルトラマン説(素性を明かさない)、マエストロは水戸黄門説(問題解決後素性を明かす)、なんだそうです(笑)。
・オルトルートについて
この登場人物には作品中最も前衛的な音楽がつけてある。後のベルク、ウェーベルン等への影響も。理由なき他者への悪意はアイデンティティに自信が持てないからか?←確かに他者を貶めることで優越感を得ようとする人はいるものです。
・「ローエングリン」はグランド・オペラ?
グランド・オペラへのアンチテーゼとして書かれている←従来の「番号オペラ」のような内容と構成をひと続きの音楽としてここまで成り立たたせている、ということでしょうか。
ちなみにヴェルディ「アイーダ」(1871年)は「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(1867年)のパクリ疑惑?ヴェルディが同い年のワーグナーを意識していなかったはずはない。
・ワーグナーに影響を与えたのは?
ベートーヴェンも考えられるが、直接の影響としてはウェーバーではないか。ウェーバーは短命ゆえ業績の評価が高くないが、ベートーヴェンを超えていった作曲家。ベートーヴェンの交響曲主題はピアノで弾けるが、ウェーバー作品は音域が広くピアノで弾けない。最初からオーケストラが頭の中で鳴っていたのではないか。ワーグナー作品も同様。
「オーベロン」はドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキーへの影響も。
→そこから話が派生し、ウェーバー作品は演奏が難しく、「魔弾の射手」序曲は指揮者コンクールの課題曲でシンコペーションがずれた時点で落選、とのこと・・
・ローエングリンの音楽
初めての3管編成。金管で和音が鳴らせた。弦のディヴィジも初。ヴァイオリン内の隣で上昇・下降の正反対を弾き合っている。ちなみに弦楽器奏者でもワーグナー好きで「その音楽の一部が弾けている」と歓喜の人と、「腱鞘炎になる、やめてほしい!」という人に二分されているようだ。
第三幕の前奏曲、クラリネットに「タタタ・・」と延々続く刻みがあるが、実際は聴こえない。印象派の絵の背景のようだ。
・演出について
近年の演出では舞台に「白鳥」が登場しないことが多いがやはり登場してほしい。以前のバイエルンなどでは「おまる」の白鳥に乗って登場していた(裏でひもで引っ張り、止まると歌手がガクッとなるやつ)
なお、ドイツを中心に行われる「読み替え演出」の発端は、ナチス時代への猛烈な反省という背景がある。
ローエングリンは所謂「コミュニケーション障害」、他人と距離を置こうとする。ディスタンスが要求される今の状況のオペラの題材として適しているのでは?
セミ・ステージ形式は演技が少ない分、練習時間も少なくなる。練習によって作品への理解が深まっていくものなので(昨年までのハンペ氏演出ではそうであった)、それができにくくなる懸念がある。また、舞台の造りこみがないため演唱で状況を示す必要があり、歌手には表現力が求められる。通常のオペラより力量が必要である。
・今回の演奏、歌手
ピットは密なのでオーケストラは舞台に上げることになるだろう。ドイツの小さな劇場で上演するための小編成スコアもあるが、ワーグナーの書いたスコアの全ての音を鳴らしたいので、それは使わない。
題名役、福井敬さん、日本人ではこの人しかいない。後に続く人が現れない。2日目のチャールズ・キム氏、ドルトムントで活躍する韓国人。この役を何度も歌っている。近年ドイツでは韓国人のバス・バリトンが多く活躍、ほかアメリカ人も。ドイツ人は少ない。2日目「王の伝令」役のミリエンコ・トゥルク氏もドイツで活躍しており、日本で紹介したいと思っていた一人。
・今後のプロダクション
来年は「パルジファル」に決定。となると、バイロイトで上演される演目で残るは「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のみ。もちろんやりたい。が、「名歌手」を揃える、合唱も大人数のため費用がかかる→「クラウドファンディング、立ち上げますか?」←はい、私出資します!
以上のような内容でした。
冒頭、藤野先生から「この中で、日本国内で上演された『ローエングリン』を鑑賞された方いらっしゃいますか?」との問いかけがあり、私は5年前に新国立劇場で鑑賞したので、はい!と挙手したのですが、見える範囲では誰も手を挙げていない。え?そんなものなの・・?と思ってふと舞台の方に目をやると、沼尻マエストロが手を挙げられてました(笑)。こういうところが私のツボなのです。
その新国立でのプロダクション。記憶をたどったのですが、題名役のクラウス・フローリアン・フォークト氏の真っ直ぐで透明で甘いリリックな声に「これがヘルデン・テノール?」と驚いたことと、幕間40分長いなと思ってホワイエに出たらシャンパンと共に「ローストビーフ」も売ってあってさすが!と思ったこと、この2点しか憶えていないのです。記憶に残るはトピック2点のみ! とほほ。なので、こうして文章で感じたことを残すことは意味のあることだと改めて思った次第です。
なお、この日、めちゃメモを取ったのですが、そのメモを挟んでいた上述新国立「ローエングリン」のパンフレットとともに帰りの電車に置き忘れ(泣)。必死でメモの内容を思い出して綴りましたが(たぶん9割方復旧)、パンフレット喪失が痛い・・この公演2016年6月4日でした(備忘)