2020年2月1日(土)ワーグナー・ゼミナール「神々の黄昏」第1回 上級編

14:00~16:40 びわ湖ホール リハーサル室

この講座を聞くのと聞かないのとでは、鑑賞の深さが全く異なる・・
前回、前々回ともそれを実感しましたので、今回もオペラ同様大変楽しみにして出掛けました。

「総譜から読み解く《神々の黄昏》の世界」の標題通り、ワーグナーの音楽を分析して解説していただくという内容で、オペラのスコアを見てみたい!と思うものの、機会もなければ(自分で購入すれば別ですが)、見るべきところもわからない、という私レベルには願ってもない講座です。

「上級編」と銘打たれると、なにやらワグネリアンの集いのように聞こえますが(実際そういう方も多数おられたと思います)、「『ライト・モティーフ』のいくつかはわかっている」程度で受けるとちょうどいい感じかな、という印象です。

講師の岡田安樹浩さんが素晴らしい。まったく言い淀みがなく、的確な表現でテンポよく説明してくださり、聞いていて非常に心地よいお話しぶり。しかも今年でまだ35歳!という若さ。居並ぶ中高年受講者を前に実に堂々とした講義で、先日の東条先生の80歳というご年齢が信じられない若々しさとは対照的です。

さて、ここからその内容で覚えておくべきいくつかのことを記したいと思います。

神々の黄昏:Götterdämmerung の ”Dämmerung” は、夕暮れ時のみを意味するのではなく、夜明け前も含めた薄明り、薄暗がり、を意味する。 ←となれば、神々の没落、終焉の物語だと思っていた私たち日本人の認識と、ワーグナーの意味したところは異なっているということでしょうか。このドイツ語には「再生」という意味も含まれていますよね。東条先生のセミナーでの「アルベリヒとラインの乙女のみが残る」ということとつながっているようにも思えました。

・「神々の黄昏」と「ラインの黄金」の幕切れは殆ど同じスコアになっているが、黄昏では、和音の根音の楽器を変えたり、最後に残るパートを管楽器のみにしたりして不安定さを出している←実際に聴き込んだうえで聴き比べないとわからないですが、興味深い・・

・同じく「神々の黄昏」と「ラインの黄金」で、8本のホルンが同じ音型を2小節ずつずらして重なっていくところのスコアは、「黄金」では下のパートからの出だしで譜づらが上昇形、「黄昏」では上のパートからの出だしで下降形に見えるように書いてある。聴いている分には全く同じで、これは指揮者へのメッセージだと思われる ←これは面白い!これを思いついたとき、ワーグナーの頭の中では電球が光ったのでは(当時電球はなかったかも?)と思いました。

今の時代になっても深堀りすればするほど興味は尽きなく、ワーグナーの天才性、その仕事の量と密度に感嘆します。録音・再生技術が発展し尽くした現代でも、いや現代だからこそ、ワーグナーの仕事の凄さをより理解できるのではないでしょうか。

そしてこの講座、ワーグナーだけではない、音楽の知識もいろいろと吸収できたのですが、その一つが「FUGA」。ミサなどの合唱曲には必ず含まれていて、私も今まで数多くのフーガを歌ってきましたが、恥ずかしながら今までその法則を知らずにいました。(これは、序幕から1幕の間の「ジークフリートの紀行」が、角笛とローゲのライト・モティーフを使ったフーガのパロディになっている、という話の補足説明として語られました)
主題が提示された後に次のパートが5度上(属音)で入るのがフーガ。同じ音程で繰り返すのがカノン。知らなかったー!
この法則、バッハなどでは厳格に守られているが、ベートーヴェン、ブルックナーあたりからは4パートが揃った後は必ずしも5度の法則は守られていない由。帰宅後、家にある何冊もの楽譜をめくりなおしたことは言うまでもありません。

ところで、セミナー終了後。ホールをあとにしたところで、道路脇に佇みパイプをくゆらせている白鬚の男性がおられました。これは間違いなく受講されていた方!絵に描いたようなワグネリアン。その煙の薫りのよさに驚きつつも、絶滅危惧種のようにも思われたのでした。

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