2021年2月6日(土)ワーグナー・ゼミナール(上級編) オーケストレーションから見る「ローエングリン」

14:00~16:45 びわ湖ホール リハーサル室

昨年から世の中の状況は変わってしまいましたが、今年も無事このゼミナールを聴講できたことがまず嬉しい。そして今回もワーグナー作品にとどまらず、様々な音楽の知識を得ることができました。
講師の岡田安樹浩先生は、今年度に入ってから大学の講義はすべてオンライン、セミナーの仕事もなくなり、この日は久々に受講者を前にしての講演だったそうです。それでも的確なお話しぶりは聞いていて快いものでありました。

前回同様、どの登場人物にどのような音色を当てはめているかという解説とともに、オーケストラの楽器の変遷などの話もあり、どちらかといえば後者の方が印象に残りましたが、主な内容は以下です。

〈ローエングリンは転換点〉
・ライトモティーフが使われるようになった。が、この時点では、舞台上にいる人物、事象に当てはめているのみ。暗示的に使われるようになったのは「指環」から。なお、ライトモティーフは「回想動機」として18世紀のパリ、オペラ・コミックで既に使われていた。
・トランペット3管は初(ホルン4、トロンボーン3は元々)、この頃登場したテューバも初。
しかしこの後の「トリスタンとイゾルデ」「マイスタージンガー」では2+1管、2管に戻っており、これは上演機会を増やすためだったと考えられる。

〈登場人物・事物の音色〉
・ローエングリン:人間界にいるときは木管を使用。ヴァイオリンの高音域使用。
・エルザ:夢見がちな茫漠とした人物。登場時はイングリッシュ・ホルンとバス・クラリネットのユニゾンで音色の特徴を消している。
・オルトルート:木管の低音を使い妖術使いの暗い音色。ただし公の場の登場では暗い表現は避けている。
・フリードリヒ:これといった特徴がない音楽。オルトルートといると彼女の音色に絡めとられる。
・ハインリヒ国王(と伝令):トランペットのファンファーレ。寛大で慈悲深い人物を表す。バルブ付きトランペットの登場で緊密なアンサンブルが可能になった。無弁・自然倍音トランペットのベートーヴェン時代にはできなかったこと。
・グラール(聖杯):フラジォレットのヴァイオリンをオケで使用。ベルリオーズのレクイエム「サンクトゥス」がオケでの使用初。それまではパガニーニなどソリストのみが使っていた奏法。
・婚礼:冒頭の木管楽器ユニゾン(混合音色)はオルガンの音色を模倣。その後オルガンが入る。マイアベーア「悪魔ロベール」がオペラ劇場で初のオルガン。見えないところでの演奏(聖堂の中)という使い方もこれにそっくり。

〈合唱〉
この作品の特徴は「合唱」。男声合唱(軍隊)が主体となっており、2群の合唱のテノール、バスが更に上下に分かれるので計8声になっている。この頃のドイツではメンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」蘇演やジングアカデミーなど合唱が盛んであった。また当時、合唱を採り入れたマイアベーア「ユグノー教徒」がパリで流行しており、その影響もあると思われる。

〈バンダ〉
第3幕では計12本ものトランペットを使用。パートの舞台上の配置まで指示してあり、音の動き(現代のサラウンドシステム?)までも表現しようとしていた。
なお、当時バンダは軍楽隊に依頼しており、隊員の重要な臨時収入であったとのこと。

〈ここからは派生した話ですが、興味ある内容なので記しておきます〉
・ワーグナーはかなりマイアベーアに影響を受けて(模倣して)いるが、後年ものすごく批判している(マイアベーアがユダヤ人だったこともあるのかも、と思いましたが)。同様の例としてドビュッシーは大変なワグネリアンであったにも拘わらず、批判に転じている。なんでも「トリスタンとイゾルデ」を通しでピアノで暗譜で弾いていたらしい←後世に残る天才というのはそもそも持っている能力が計り知れないのですね。
・「指環」以降登場する「ワーグナー・テューバ」はそもそもワーグナーの妄想から生まれた楽器。ホルンでは出せない音色を求めて、ホルンのマウスピースで吹けるようにと発明された。その後、ブルックナー、R.シュトラウス、ストラヴィンスキーに使われたことにより需要があり、現在も残っている。

これについて、関連して気になることがあって調べ、意外なことを発見したのですが・・
「テューバ:Tuba」という楽器名。レクイエムの歌詞に出てくる際には「ラッパ」と訳されていますが、そもそも「Tuba」って何?と以前から疑問を持っていたのです。それでこの機会にGoogle先生に訊いてみました。そうしたところ・・「ラテン語で『管』」との回答 →つまりテューバとは「チューブ:tube」だったのですね!これは自分的に大発見でした(笑)なお、ではなぜ「テューバ」なのかというと、「バス・テューバ」が略されてこの名になったようです。

それともうひとつ、この日、就寝前に恩田陸「祝祭と予感」(「蜜蜂と遠雷」スピンオフ)を読んでいたのですが、こんな一節がありました。作曲家の菱沼忠明が彼の弟子に語った言葉です。
「昔の作曲家なんざ、自分の頭の中にある音を鳴らすために、どれほど苦労してきたことか。だから、いろんな楽器を産み出しては、出る音を増やし、さまざまな響きの音色を求めてひたすら改良を続けていった。鳴らしたい音を完璧に出せたなんて作曲家はまずいないだろう。そもそも音ってのは、楽器で弾ける平均律に収まるような代物じゃないからな」
古来から現代音楽にいたるまで、作曲家のあり様を見事に知らしめてくれているこの台詞、昼間聞いたばかりのワーグナー・テューバの話が即座に蘇り(ユングいうところの「シンクロニシティ」?)、かなりゾクっとしました。
とまぁ、本題から外れていった事柄でひとり盛り上がっている訳ですが、このように好奇心を満たし、考え調べることのきっかけを与えてくれる講座でもあるのです。

タイトルとURLをコピーしました