2022年9月25日(日)ジョン・アクセルロッド指揮/京都市交響楽団第671回定期演奏会 マーラー「復活」

14時30分開演 京都コンサートホール

定期演奏会ざんまいの週末の最後は京響でマーラーの2番「復活」。

完璧な演奏で、どっぷりとその世界に浸ってきました。

このマーラー「復活」、4年ほど前にも生で聴いたことがありましたが、その時の感想は「とにかく長い」。演奏会で「長い」と感じることは殆どないのですが、これは「長かった」という記憶が強く残っています。

そもそも、長い=退屈、と感じてしまうのは内容がよくわかっていないからなので、その反省も踏まえ、今回は聴いて読んでの予習をきっちりと?しました——と、これが効果的で、最初から最後までたっぷりと楽しめ、まったく長さを感じませんでした。やはり、何も知らない丸腰状態で聴きに行ってはダメですね。

冒頭の弦のトレモロに低弦が入ってくるところからしてカッコよくてしびれました。そのあとの笑ってしまいたくなるくらいの大音量の大袈裟音楽がこれまたカッコよくて、いや、やはりこの大音量はホールで聴く醍醐味の最大のものです。こんなに盛大に音を出してしまってもよくて、聴いてしまってもいいんだ、と(ワケ分かりませんが聴きながらそう思ったのです 笑)この空間で聴けていることの幸せを感じました。

この作品は5楽章まであるのですが、5楽章の演奏時間が全体の4割くらいを占めていて異常に長い。その前のごく短い4楽章にメゾソプラノのソロがあり、そのソロが終わってから最後に合唱が入るまでにかなり時間があるのが、前回長いと感じた原因だと今回分かりました。第九のように、ソリストが入ると合唱が続いて入ってくるものだと思っていると、まだか、まだか、となってしまう。作品の構成が頭に入っていないとこうなってしまいます。

ちなみに、オルガン席(このホールではポディウム席といいますが)で歌った合唱団とオルガン奏者は、マーラーが「5分以上の休みをおくこと」と指定している1楽章が終わった後の小休憩時に入場。でも、このタイミングで入っても合唱の待ち時間はそこそこに長く、ソプラノに明らかに寝ている方がいました(笑)。

最初にも書きましたが、この日のオーケストラの演奏はとにかく完璧で、京響はやっぱり上手いなぁ、と感嘆しました。それにこの作品は、大袈裟過ぎるところを除いては、「巨人」で感じるような奇妙奇天烈さがなくて、聴きやすい音楽だと感じました。それにしても、最後の合唱は素晴らしい!これはやっぱりいつか歌ってみたい、と思うと同時に、8番「千人の交響曲」も思い出して、これももう一度歌いたい、と思ってしまいました。

3月に「巨人」を聴いた時には、ホールの聴こえなさに落胆しましたが、この日の席ではまったくそれは感じず、豊かな響きを堪能できました。同じ3階席だったのですが、不思議です。

◇座席
3階最前列の下手側。ちなみに3月は3列目の中央。ほんの少しの距離なのですが、何が影響しているのでしょう?

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