2025年12月24日(水)藤岡幸夫指揮/関西フィルハーモニー管弦楽団《第九》交響曲の夕べ

19時開演 東大阪市文化創造館 Dream House 大ホール

今年は第九で2回登壇しましたが、その初回がクリスマスイヴに開催された この東大阪特別演奏会でした。

令和元年にオープンした東大阪市文化創造館。まだこのホールでの演奏会に足を運んだことがなく、(我が勤務先のゼネコンの設計施工でもあるので)一度訪れてみたいと思っていたところ、ここで第九が歌えるとのことで楽しみにしていました。

藤岡マエストロは関フィル合唱団で第九を振られるのは初めてだそうで、またこのホールで第九が演奏されるのも初めてだったとのこと。公私ともに?初めて尽くしの演奏会でありました。

ところで、もう一方の第九は鈴木優人マエストロによるもので、お二人のマエストロの音楽づくりがそれぞれ大変勉強になるもので、自分の中でやや惰性になりかけていた第九と改めて向き合えた貴重な機会でもありました。

藤岡マエストロの楽曲解釈は、その作曲家自身や作曲された時代の社会的背景などを元に語られることが多いのですが、第九もしかり。今回熱く(笑)語っておられたのは、第九と「不滅の恋人」との関連性(「不滅の恋人」が誰であるのかは諸説あるようですが、マエストロはヨゼフィーネ・ブルンスヴィック、とされているようでした)。

第九の歌詞に出てくる”Tochter(娘)” は、同じ女性名詞の “Freude” を言い換えたに過ぎない言葉であるのに、ベートーヴェンはこれをヨゼフィーネに置き換えて、合唱に何度も連呼させ、彼女への想いを歌にしている、というもの。

また、シラーの「歓喜に寄せて」の詩は、当時ウィーンでは非常にポピュラーで、第九以前にも曲がつけられたものが多くあり(60曲ほど)、その詩のおよそ3分の2がカットされた第九を初めて聴いた聴衆の反応は「何だこれは」といったものであったそうです。

その後長らく上演されていなかった作品に再び光をあてたのがメンデルスゾーン、そして決定的にしたのがワーグナー(合唱団を最初から入れておく、という「演出」もワーグナーが始めたこと。さすが!)、ということまでは私も知っていましたが――ワーグナーの蘇演が受け入れられたのは、初演から20数年が経ち(世代も変わって)、シラーの詩を皆忘れていたから!というのは、初めて知ることで、さもありなん(笑)。極めて人間味のあるマエストロの解説はストンと腑に落ちるものでした。

と――演奏とは関係のない話が長くなっていきますが――私が合唱を続けている最も大きな理由はオーケストラと共に歌えるから、というものなのですが、リハーサル時から演奏が聴けるのも楽しみのひとつ。そこで今回発見したのが、4楽章の初めのあたりで毎回涙腺を刺激される「キュン」ポイント。

この低弦から開始される主題にやっと第一ヴァイオリンが入ってきて、第二ヴァイオリンの対旋律と交わるところ。その和声にキュンとしていたのですね。この公演では、1stヴァイオリン→2ndヴァイオリン→ヴィオラ→チェロという並びだったので、隣り合うヴァイオリン同士の交わりがより鮮明に聞こえていたのもあったのかもしれません。しかし、このようなところひとつとっても、やっぱりベートーヴェンは天才!ですね。

ところで、やっと声楽パートに入りますが、その冒頭。
合唱の1列目に並ぶソリスト、バス・バリトンの伊藤貴之さんの”O Freunde, nicht diese Töne!~” これが素晴らし過ぎて、その深い美声と声量の迫力、それをほぼ真横で聴ける幸運にニッコニコになってしまいました(しかしエエ声を聴くとつい笑ってしまうのはどういう心理なのでしょう?)。

よって、マエストロがこちらに向かって「えくぼ」のジェスチャー(笑って!のサイン)を出されるよりも前に、こちらの笑顔は既に出来上がっておりました。

しかし――私自身は前の週から風邪気味。この日は治ったつもりでいたのですが、出始めで声が嗄れて出なかったのには我ながら驚き。しばらく進むと出るようにはなったのですが、こんなことは初めてでした。コロナ以降風邪を引いたことはなかったのに、感染予防に緩みが出てきたのかもしれません。今後気をつけます。

今回気をつけたことは、発音の再確認。私の使っているカワイ出版の楽譜(当団では楽譜の版は不問)は、後ページに逐語訳と発音記号がついている優れもので、休憩時間などに特に”e”の長母音の違いを確認。発音は初めて第九を歌った合唱団ではかなり厳しく教えられたのですが、薄れつつあったことを認識できたのも今回の収穫でした。

合唱全体の出来がどうであったのかは、中にいるとわからず何も書けないのですが――バス以外のソリストが素晴らしかったのも今回印象に残ったことのひとつです。特にソプラノ石橋栄実さん。ホールいっぱいに拡がる響きは、他のソプラノでは聞かれない唯一無二のもの。それをホールのアコースティックとともに体感できました。

ところで、このホールは音響が素晴らしいと言われているそうですが――確かに自分自身の声は問題なく聞こえていましたが(発している声が殆ど聞こえないホールもあるのです)、1階後方のいわゆる「雨宿り」で聴いた夫の感想は「音が籠って聞こえて良いとは思わなかった」そうです。場所がよくなかった?今度もっと良い席で自分の耳で確かめるしかなさそうです。

タイトルとURLをコピーしました