2021年6月18日(金)飯守泰次郎指揮/関西フィルハーモニー管弦楽団 第320回定期演奏会 ドヴォルザーク「スターバト・マーテル」

19時開演 ザ・シンフォニーホール

昨年12月「第九」以来の登壇コンサート。
関西フィルハーモニー合唱団に入団して2年弱ですが、昨年の合唱作品の定期が中止となったため、私にとっては初めての定期登壇でした。

緊急事態宣言解除の2日前ではありましたが、平日であったので観客50%の条件でなんとか開催できました。

昨夏から譜読みを始めてはいましたが、たびたび練習が休止あるいは時間短縮となり、直前の5月も1ヶ月間練習休止。6月に入ってから団のみの練習3回、マエストロ練習1回、オケ合わせ2回と急ピッチで仕上げ、ぎりぎりなんとか間に合ったという状態でした。

以前の記事にも思うところは綴りましたが、私としてはマスクなしで歌える状況になってから歌いたかった作品だったのですが、しかし、短い間でなんとかモチベーションを上げて登壇でき、また聴きに来てくださった方にも概ね好評だったのでーー楽曲自体の持つ力によるところ大だと思いますがーーとりあえず「良かった」としておきたいと思います(笑)

飯守泰次郎マエストロの指揮で歌うのはもちろん初めてだったのですが、これまで観客として拝見した公演(最近では大フィル定期ブルックナー6番ワーグナー「指環」演奏会)がいずれも感動的であったこと、しかしその指揮ぶりから何故そのような感動的な演奏になるのかが不思議でもあったので、今回ぜひその秘密を知りたい、とも思っていました。

しかし・・オケ合わせ前に「指揮を見ると出だしがわからなくなる(ので見ないように)、とにかくオケを聴いて歌って」とのお達しがあり、少々当惑。それでもオケ合わせ当初は「まず指揮を見て、指揮とオケが合っているかどうか確認したのち、どちらに合わせるべきか瞬間的に判断」して歌っていたのですが、しかしこれではどうにも頭が疲れてくる。それに隣の方はどうやって合わせているのかはわからないけれど出だしはオケとぴしっと合っている(ベテラン団員の方は違います)。なので、それに合わせて歌うことにしてしまいました。

本番終演後のお客様の反応で、演奏は悪くはなかったのだろうな、とは感じましたが、やはり舞台にいて歌っていると、音程、ブレス、そして出だし(笑)など気になることがいっぱいでなかなか演奏自体を客観的には把握できないものだと改めて認識しました。今回は特に練習不足による余裕のなさがその原因ではありますが。

ところで今回、オケ合わせ時より若手アシスタント指揮者がマエストロに帯同して来られていました。この方がオケ合わせのみならずゲネプロ時に至るまで、実に細かく「ダメ出し」をされていたのですが、その注文に対して、マエストロは肯定するでも否定するでもなく「はい、じゃ、やってみましょう」と練習を進められていました。・・が、まるで陰の支配者、このアシスタントくん何者?と思っていたところ、現在既に札幌交響楽団の指揮者でもある松本宗利音(シューリヒト)さんであったとのこと。その耳の良さは驚くばかりでありました。機会があれば松本さんの指揮する公演も是非聴いてみたいと思っています。

そして余談ではありますが、7曲目の終わり”senza corona”について。
楽譜に合唱部分にのみ”senza corona”と書かれていることが練習時から話題になっていました。イタリア語で「コロナなしで」。コロナ(王冠)とはその形状からフェルマータのことで、この場合「オケにはフェルマータがあるが、合唱はフェルマータなし」という意味になります。が、しかしマエストロ、ゲネプロ時からそのことをお忘れになったらしく、本番でも合唱に「切る」合図は出されませんでした。息も続かないので適当に切って終わってしまったのですが、明確に「コロナなし」にはならず、何だかちょっと縁起が悪かったかも?(笑)。

というようなことで、「感動の秘密」もわからず終いではありましたが、ともあれ、日本を代表するマエストロの指揮で歌えたことは、私の中では意義あるものとして確かに残ったと感じています。

ちなみに”senza corona” はこの部分です。

◇その他
チラシに「人生最大の悲劇の中で書かれた切なる祈り」とありますが、この作品はドヴォルザークが3人の子どもを次々に喪ったことで書かれたものです。
練習期間中に読んだドヴォルザークの伝記から、ドヴォルザークと子どもたちの年譜を書き出していたので、それをここにそれを記しておきます。

1873年 アンナ・チェルマコーヴァと結婚(ドヴォルザーク 32歳)
’74年 オタカール生 →天然痘により没( ’77.9/8)
’75年 ヨセファ生 →生後3日で没( ’75.9/24)
’76年 ルージェナ生 →11ヵ月後硫黄誤飲で没(’77.8/13)
’77年 10月初「スターバト・マーテル」作曲、11月中旬完成(チェコ初の大合唱曲)
’78年 6月オティーリエ生
’80年 1月 アンナ生
’81年 マグダレーナ生
’83年 3月アントニーン生
’85年 2月オタカール生
’88年 4月アロイジエ生

最初に生まれた3人を亡くし、後に6人授かっていたのですね。多産多死の時代。

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