10時30分 びわ湖ホール 小ホール
先週に引き続き、びわ湖ホール。
今年もワーグナーの季節がやってきました。
「マチネ」とは昼公演のことを指しますが、語源のフランス語 “matin” の意味は「朝」。このプレトーク・マチネは毎回午前10時半からなので、語源通りの「朝公演」なのですが、我が家からびわ湖ホールにこの時間に着こうと思うと平日出勤並みの出発時間になってしまいます。
でも、オペラ同様、いや考え方によってはそれ以上に(笑)楽しみにしているので、ルンルンと休日の早起きで今年も行ってきました。
いつもの如く文章にまとめにくいので、以下箇条書きにて備忘録です。
◇作品について
・ワーグナー最後の作品。
・ワーグナー作品の中では上演機会が少ない。世界的にもそうだが、ドイツでも少ない。
・ワーグナーの魂は半分あちらの世界に行きかけていたのではないか?起承転結を避けている、淡い水彩画のようなイメージ。印象派に近い →ドビュッシーやラヴェルに与えた影響は大。
・宗教音楽に近い。復活祭前のミュンヘンでは、一般的なコンサートやオペラは上演されず、ミサやレクイエム、スターバト・マーテルなどの宗教曲ばかり演奏されているが、その中でこの「パルジファル」だけは上演されている。
・中世から存在する「受難劇」を、バッハは「受難曲」にしたが、ワーグナーはそれを19世紀風に楽劇にしたのではないか。当時、これはワーグナーによる「新興宗教」ではないかという批判もあったらしい。バッハとワーグナーは同じライプツィヒ出身。
・以前は北欧神話に材をとっていたが、これは「アーサー王伝説」が基となっている。晩年はイタリアに傾倒しており、アマルフィに滞在中に着想している。楽園のようなこの地で北方人としてのコンプレックスを感じていたのかもしれない→これに関連して、北ドイツは食事が不味い、旨いものを食するのは罪悪だと考えているフシがある、との話。たしかに美食は悦楽であり、禁欲的なプロテスタントには相容れないのかもしれません。「日照に恵まれず作物が乏しいから」説も聴いたことはありますが。
・脇腹に聖槍による傷を負ったアムフォルタスは、晩年のワーグナー自身の投影か?
・このころのワーグナーの肖像画をルノワールが描いているが、いかにも印象派のイメージ(検索してみたので、後ろに貼り付けました)
◇音楽について
・アーサー王伝説(騎士団)の話に基づくため、特に1幕は男声ばかりの音楽。
・2幕の花の乙女(これは明らかに娼婦)には6度の和音がつけられている。フランスの和声だがもとはシューマンが使っていた。
・クンドリーのライトモチーフは荒々しくしつこく何度も繰り返される。オスティナート効果?半音階が用いてあるが、これは煩悩を示している(トリスタンも同じ)。最後に救済されるとドミソの和音になる。これはコラールであり、キリスト教の「神の愛(アガペ)」である。ワーグナーは自らの人生を振り返り、楽譜に「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」と書き記したのでは(笑)
※この日はピアノが用意されておらず、急遽「ピアニカ」(来週上演の「竹取物語」の稽古に使っている)が持ち込まれ、マエストロはピアニカを演奏しての解説。マスクのままピアニカを吹き、「鍵盤が足りない、今気が付いたけれど、クンドリーのモチーフは音域広い」、など今回も楽しませていただきました。
◇質問コーナー
今回私は質問出しませんでしたが、興味深い内容が並びました。
・「1幕のあとに拍手していいのでしょうか?」
え?拍手禁止?そんなお決まりがあるのですか?私は知りませんでした(笑)。もちろん普通に拍手していいと思います、との答えでしたが、その後「フライング拍手」への言及があり、この話も面白かったので、後述します。
・「パルジファルの『純潔』に拘ったのは、梅毒への恐怖があったからなのでは?」
→それはもちろんあったでしょう。19世紀の自由恋愛は常にその恐怖との抱き合わせ。「愛」と「死」? 実際シューベルトもそれで亡くなっているわけだし。
・「この楽劇の時間の流れ(劇中でどれくらいの時が経っているのか)はどうなっているのでしょう?」
→それはわからない。西洋には「アリストテレスの劇作法」というものがあり、「場所を移さない」「24時間以内」「説明を入れない」という原則があるが、ワーグナーはこれを無視している。
・「ローエングリンの最後で『パルジファルを父とし』とあるが?」
→これ以上なにも書かれていないのでわからない。「純潔」のパルジファルがどうやって子どもをもうけたのでしょうね?相手はクンドリーじゃないですか?(笑)
(私はイエスとマグダラのマリアの間に子どもがいて、今も子孫が残っているという「ダ・ヴィンチ・コード」の話を思い出しました)
・「二期会も今年パルジファルをやる。結構被ることが多いようだが?」
→そろそろやろうかな、という時期がなんとなく一致するのでは?しかし、びわ湖でやる演目は歌手へのオファーで二期会にはバレてしまうわけで、だったら向こうで避けてくれてもよさそうなのに(笑)
◇その他
前述の「フライング拍手」について。
先日、ラジオ番組での沼尻マエストロへのインタビューで、N響定期を振ったとき曲の終わりで上を見上げていたことについて訊かれ、「何かを感じて天を仰いだわけではなく、あぁ拍手が早かった、と思ったんです」と答えておられて、指揮者も同じように思うのだと知りました。
この日マエストロが言っておられたのは、日本でフラ拍手が多いのはかつての「教養主義」由来の「オレは曲の終わりを知っている」から来ているのでは?ということ。更に「N響だと後日放映されるので記念に自分のブラボー入れたかったとか」(笑)
以前ドイツの教会でブラームスの2番を聴いた時、残響が5~6秒ある空間だったが、最後の音が消えるまで一切音がせず感動した、とも。
そうですよね。私は指揮者が手を降ろしてからゆっくり「1,2,3,4」と数えるくらいのタイミングで拍手しています。フラ拍とまではいかなくてもいつも微妙に早い人がいて、「今日は良いタイミングだった」と思ったことはほぼないです。残念ですけど。
◇ワーグナーの肖像
前述ルノアールによるものと、見慣れた写真を並べてみました。
写真の方はいかにもの傲岸不遜の印象ですが、ルノアールの方は眼光の鋭さは残っているものの紗がかかったような特有の表現も相俟ってすっかり老境、といった感じです。