2020年11月14日(土)本山秀毅×びわ湖ホール声楽アンサンブル「マタイ受難曲」

14時開演 びわ湖ホール 大ホール

「怒涛の3日連続演奏会」最終日。
とても楽しみにしていた、バッハ「マタイ受難曲」

この作品、冒頭のオーケストラが鳴り始めた時点で、心の深いところをもっていかれる気がするのですが、今回はそれが最後まで途切れることなく続いた演奏でした。
この楽曲自体が心の琴線に触れる旋律であふれているのですがーーロマン派作品に感じるものと同質の感動を与えてくれる旋律ですーーこれが、優れた歌唱によって繰り広げられるので、その声質自体にも体が生理的反応を示していたように思います。

今回もこれまでの声楽アンサンブルのコンサートと同じく、合唱は20人足らずの編成で、歌手同士の並びも2m程度の間隔を保ったものでした。冒頭の合唱では、一瞬ソリストが複数人で歌っているように個別の声が聴こえてきたように感じましたが、こちらの耳が慣れたのか歌い手がホールの響きに慣れたのか、次第に混じった本来の合唱に聴こえるようになりました。
2部に分かれた合唱で、1部は各パート2,3人であるのに、もうそれで十分な声量で、高音の透明感が素晴らしい。

そして今回もっとも素晴らしいと思ったのは、なんといってもエヴァンゲリストのテノール清水徹太郎さん。高音になればなるほどその声の透明度と輝きは増し、聴きながら(妙な例えですが)クリスタルでできたオベリスクのようなものが脳裏に浮かんでいました。高くなるにつれ細くなり、その先端は太陽の光を受けてキラキラと輝いている、そんなイメージです。

そのレチタティーヴォ、アリアで美しさに嘆息しながら、次に訪れるコラールでまた背中がゾクゾクとするような感覚が襲ってくる・・ずっとその繰り返しでした。

そして、こんなに物語の内容が良く理解できた受難曲の演奏も初めてだったと感じています。座席が中央付近で、舞台全体と両側の字幕が見やすかったのもありますが、やはり「聴きたい」という強い願望と、それを喚起する観客が前のめりになれる演奏技術があったからではないかと思います。

惜しむらくは・・もっと、聴きどころについて勉強していけばよかったな、ということ。
この作品、「いつか歌ったみたい曲リスト」の筆頭なのですが、まだ歌ったことがないので、実は音楽的内容について深く理解していないのです。この前の週に、本山先生によるプレ・レクチャーがあったのですが、行っておけばよかったなぁとーー情緒的な感想しか書けない情けなさと聴きどころを逃したようなもったいなさーー今この記事を書きながらちょっぴり後悔しています。

しかし、これだけたくさんのコンサートに行っておきながら、「背中がゾクゾクする」感覚をこれほどまでに感じた演奏はなかったように思います。

そして、「いつか歌ってみたい」はこのようなレベルの演奏を聴いた後では、実はどうでもよくなってしまい、聴くだけでいいかな、と今は思っています(笑)

 

蛇足ですが・・
「背中がゾクゾクする感覚」をちょっと調べてみたところ(@調べもの好き)、快いと思う音楽を聴くことによって脳内に「ドーパミン」が発生するから、との記述がありました。でもそれだけでは今までの音楽体験からでは納得性が薄く、周波数(高い音)への生理的反応もあるのでは、と考えています。

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