2021年2月12日(金)尾高忠明指揮/大阪フィルハーモニー交響楽団第545回定期演奏会

19時開演 フェスティバルホール

大好きな「ブルックナー9番」をブルックナーを得意とする大フィルで聴ける。
大変楽しみで行ったのですが・・ちょっと言葉にできないくらい感動してしまいました。

以前のブログ「ニ短調」に書いたのですが、私がまず最初にブルックナーに魅かれたのは「テ・デウム」の「Aeterna Fac」であったのですが、その次に聴いて決定的となったのがこの9番の2楽章スケルツォ。ちなみにこの9番も二短調で、この重く暗い調性にユニゾンで繰り出される独特のリズミックな強い音楽は「殆どヘヴィメタ」。高い中毒性。一度刷り込まれると脳内でいつでも無限再生されてしまいます。

1楽章冒頭「原始霧」から期待が掻き立てられ、次々と入れ替わる曲想。壮麗で愁いを帯びた旋律に涙が滲むような思いがしたかと思うと、これもブルックナー特有の武骨な印象の金管の主題があらわれて微苦笑させられたり、と心は忙しく、それらすべてに至福の思いを感じながら聴き入りました。

そして2楽章。もうこれは実演が聴けて嬉し過ぎました。デモーニッシュ、「悪の帝国」のような音楽。最初の木管の不協和音に弦のピッツィカート、1楽章同様、いやそれ以上に期待が高まります。そしてユニゾンで「ダダダーダ、ダダダ」。つい合わせて体が動きそうになるのを手元の双眼鏡を握りしめて堪えました。これ、なんだか悪魔の脅しにように聴こえるのです。しかもーーブルックナーは意図していないと思いますがーーどことなくコミカル。「どーだ、こわいだろー?がははー」みたいな(笑)。間に挟まるたおやかな旋律の弦、牧歌的なオーボエやフルートは、美女に変装した悪魔のまやかしの慰撫、あるいは甘い誘惑でしょうか。そしてまた「ダダダーダ、ダダダ」(笑)。しかもこれ、こちらの「終わらないでー!」という要望にきっちり応えて実にしつこく何度も繰り返されるのです。いやーたまりません!

終楽章となってしまった3楽章、胸が押しつぶされるような上昇しきれない音階と壮麗なオーケストレーション。ブルックナーが最後に書きあげた壮大な宇宙。もうこれで十分、4楽章は必要ない、と思いました。

それにしても、この日の演奏はすごかった。
先月の定期、インバルによって引き上げられた高い演奏水準を保ったまま、得意とするブルックナーを聴かせてもらうことができた。今、ここにいて、この演奏を聴けている。生きていて良かった、とさえ感じました。
そして、もうひとつ感じたことは、観客の集中度の高さ。
演目からして、定期会員か「ブルオタ」しか聴きに来ない(笑)というのもあるのでしょう、「ゲネラル・パウゼ」時の静寂を作りだす客席全体の集中力の高さを物凄く感じました。皆が息をひそめてその瞬間を共有している、残響を楽しんでいる雰囲気がホールにびしっと漂っていて、これもひとつのブルックナーの醍醐味ですね。

それからもうひとつ。これは前にブルックナー6番を聴いた時にも思ったのですが、残響について。ゲネラル・パウゼあるいは楽章の終わりの音の切れ方・残響が、これはもっと「ウワワワーン」ととぐろを巻くように残って欲しいな、と。その方がよりデモーニッシュに聴こえるような気がするのです。ヨーロッパの大聖堂のような残響。教会オルガニストであったブルックナーもそれを想定していたのではないかと思うのです。現代のテクニカルなホールではーー音の切れ目を視覚化するとすれば、「丸ゴシック体」で書かれた横棒の終点のようなーー幾何学的な丸さを持ったすっきりと整った残響で、ブルックナーに限って言えば、なんとなくさっぱりし過ぎていて物足りなさを感じるのです。とはいっても曲の途中でこの残響時間だと音楽が混濁してしまうので、これはあり得ない高望み、ないものねだり、であるのですが。

少し話が逸れますが、先日Eテレ「クラシック音楽館」で、熊倉優さん指揮/N響のメンデルスゾーン「イタリア」を聴き、関フィルの第九のときに抱いたのと同質の「清々しさ」を感じました。やはりこの人の音楽は好きだな、と思ったのと同時に、これは今しか出せない「青年の音楽」であるとも思ったのです。
それとは対極的に、このブルックナー9番。9番に限らずブルックナーはほぼそうであるかもしれませんが、これは何十年も実績を重ねてきた「巨匠」にこそふさわしい音楽であると、この日尾高マエストロの指揮を見ながら感じたのです。それで一層この演奏会に立ち会えたことに幸せを感じたのでした。

すっかり後回しになってしまいましたが、前半のモーツァルト、ピアノ協奏曲第24番。来日が叶わなかったアンヌ・ケフェレック氏に代わり、北村朋幹さんの演奏。若手実力者の北村さんの演奏はいつか聴いてみたいと思っていたのですが思いがけず叶い、これも楽しみでした。そして期待にたがわず、素晴らしかった!透明な粒を転がすような音色のピアノ。しかし、力強く壮麗でもある。後半ブルックナーの大編成とは対をなす室内楽的な編成でありながら、同様に短調のこのピアノコンチェルトの曲想。この日のプログラムの主題は「デモーニッシュ」ということかな?と考えるのもまた楽しいことでありました。

◇ソリスト・アンコール
シューマン「天使の主題による変奏曲」より主題部
↑「天使」と「悪魔」でしょうか(笑)私の勝手な解釈ですが・・

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