2021年1月28日(木)エリアフ・インバル指揮/大阪フィルハーモニー交響楽団第544回定期演奏会

19時開演 フェスティバルホール

ショスタコーヴィチ「交響曲第10番」
いや、もう物凄い演奏でした。

とにかく演奏の密度の濃さ、集中力の高さに圧倒され、そしてこの作品の持つメッセージ、作曲された背景などについて考え込んだり調べたりで、なかなか文章にすることができずにいました。美しい音楽を聴くことによって得られる「感動」とはかなり種類の異なるこの感情を何と表現すればよいのか・・これがショスタコーヴィチあるいは20世紀以降の音楽の持つ魔力、魅力なのかもしれません。

ショスタコーヴィチという作曲家について、「ロシアの作曲家ではなく、ソ連の作曲家である」と書かれているのを目にしたことがあります。また、ベルリンフィル・デジタル・コンサートホールのサイトに書かれている説明が端的でわかりやすく、その文章にも魅かれたので(男前なパッキリとした表現)ここに転記したいと思います。
「〈前略〉1953年(3月5日)、スターリンの死によって差し迫った恐怖からは解放されたものの、それまではいつ逮捕されるかわからないと怯えていたショスタコーヴィチの運命は、全体主義の横専を示している。つまりソヴィエト政権はこの作曲家に何度もスターリン賞を授与し、彼の国際的な名声を享受しながら、同時に弾圧を加え嫌がらせをしたのである。〈後略〉」

この交響曲第10番は、スターリンの死の直後から作曲され、同年12月17日に初演されています。スターリンのお気に召さなかった「第9番」から8年も経ってのこと。それを念頭にこの作品を聴くと、おのずとわかってくるものがあります。
3楽章から現れる「DSCH音型」。自らの姓名のドイツ語頭文字「D.Sch」を音名に当てはめたもので「レーミ♭ードーシー」という旋律ですが、これが4楽章では盛大に連呼(?)されるのです。録音で聴いていたときは「ものすごい自己主張だな」と思っていたのですが、生で聴くその大迫力に、これは作曲者の「勝利宣言」であるのだ、と理解しました。あるいは抑圧からの「大解放」でしょうか。
そして、この音型が短調の風味を帯びているのも、偶然とはいえ興味深い。(バッハの「BACH音型」がキリストの受難を意味する「十字架音型」になっているのにも戦慄を覚えますが)

しかも、この交響曲、4楽章ともすべて「短調」。なのですが、独特なリズム感をもって進んでいくので、暗澹たる心境にはならず、先へ先へといざなわれる不思議な音楽でもあります。
ショスタコーヴィチ作品は、初めて聴くと「なんだこれは!?」と若干の違和感を持つのですが、なぜか興味を掻き立てられ、その旋律になんとなくアジア的な郷愁を覚えたりもし、やがてその主題が脳内反復されるようになる。ワーグナーとはまた違った「中毒性」があります。

それにしても、今回のインバル/大フィルの演奏は素晴らしかった。
失礼な表現になるかもしれませんが、大フィルは「大化け」したように感じました。
演奏瑕疵まったくなし。アインザッツも完璧。それだけの緊張感が指揮者によってもたらされたのだろうと思いました。

マエストロ、インバル。今年で85歳になられるそうですが、しっかりとした足取りでかなり大股に歩いて登場され、指揮も切れのあるものでした。すごいです。
ラストでは、バンザイ!の形に両腕を高く挙げて曲を締めくくり、私はそれを見ながら心の中で「だれか “Bravo!! ” 叫んで!」と・・。あの瞬間に、フライングで良し、BRAVO!が欲しかった。今の状況が非常に歯痒い。快演、怪演でありました。

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