2021年5月12日(水)三浦謙司ピアノリサイタル

19時開演 兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホール

2019年のロン・ティボー・クレスパン国際コンクールで優勝した地元神戸出身の三浦謙司さんのリサイタル。
プログラムもたいへん魅力的。
非常事態宣言が延長されコンサート中止が相次ぐ中、無事開催されて良かったです。

現在日本人の若手男性ピアニストはとても充実しており、ぱっとお名前挙げるだけでも片手では足りません。その中のおひとり、三浦謙司さん。それだけでも十分行きたい気持ちを持つのですが、プログラムもロマン派作曲家の間にプーランクが入っていたり、最後は重量級のリスト「ロ短調ソナタ」であったり、と私の「ど真ん中」で、これは是非行きたい!と思ったのです。

ホールのHPに三浦さんの動画メッセージがUPされており、それによると今回のプログラムのテーマは「自由」。これは聴く前に知っておいてよかった。形式からの自由、ということかと解釈したのですが、前半はシューベルト、プーランク、ショパンそれぞれの「即興曲」。プーランク作品には、その美しい和声の中にわずかに差し込まれた「毒味」に惹きつけられるのですが、この作品には「毒味」ではなく、その曲調に世の中を俯瞰したようなシニカルなもの、或は洒脱さを感じました。ちょっとひねくれていておしゃれ、という感じ。ただしそのあとを締めるのは正統派ショパン、という、プログラミング・センスが素晴らしい。

三浦さんのピアノは、音色がとてもまろやか(一瞬弾いているのはベーゼンドルファーかと思いましたが、スタインウェイでした)。そして、どの演奏にも思わず涙腺が緩んでしまう美しい抒情性があり、心が洗われるような思いがしました。

後半、そのまろやかな音で奏でられるドビュッシー「アラベスク」のなんという心地よさ。
最近読んだ本(浦久俊彦「ベートーヴェンと日本人」)に、1914年フランスに留学中であった島崎藤村がドビュッシーを聴き「新しい音楽だが、自分等の心に近い音楽である」と記している、との記述がありましたが、私が感じるのもまさにこれなのです。新しさと既知感。日本の浮世絵などに影響を受けたドビュッシーの狙いは百年前も今も確かに私たち日本人に「刺さって」いるのですね。そして今、こうして優れた日本人による演奏で聴けていることは何と幸せなことなのだろう、とそんなことを考えながら聴き入りました。

そのドビュッシーから、アタッカのようにほぼ切れ目なくリスト「ロ短調ソナタ」に突入。
この作品、「ソナタ」と言っても単一楽章で、主題が循環するという形式。ソナタ形式の「自由」な変容、でしょうか。3つほどの主題を聴き分けることができましたが(一応予習はしましたが、この程度です 笑)、プログラム解説によるとゲーテのファウストとの関連性も指摘されているとのこと。冒頭と末尾の低音の主題はファウストの独白かメフィストフェーレスの唆しか?高音の主題はグレートヒェン?——もう一度復習が必要ですね。
それにしても、この演奏は圧巻で、物凄い迫力でした。聴きながら今度はコンチェルト、それもラフマニノフとかプロコフィエフなどの重量級のものを聴いてみたいな、と思いましたが・・そういえば、3月関フィル定期で藤田真央さんを聴いた時は「今度はリサイタルを聴きたい」と思ったことを思い出し・・瞬間的には「ないものねだり」なのですが、これは魅力的なピアニストに出会った時に抱く願望なのだろうと、そんなことを考えながら帰途に着きました。

◇アンコール
モンポウ「風景」より泉と鐘
ドビュッシー「忘れられた映像」よりレント(憂うつに、そしてやさしく)

◇座席
上手側の最上段。
この日の観客、女性客の殆どはピアノが弾ける人なのだろうな、と最近ピアノにはまっているせいか勝手に想像。私の左側の方は雰囲気からして「ピアノの先生」だと確信。賭けてもいい!(って誰と?)

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