2023年3月11日(土)川口成彦フォルテピアノ・リサイタル

14時開演 兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホール

バラードを軸にしたオール・ショパン・プログラムでのリサイタル。

川口さんのリサイタルはこれで4回目。
その作品が書かれた時代の楽器で聴く楽しみを知ってしまいました。
同好の士は多いようで、補助席も出る満席。

今回のテーマ、ショパンのバラードについて、川口さんご自身によるプログラム・ノートに詳しく解説が書かれており——この文章も素晴らしくて、演奏が始まる前に既にウルっと(笑)——バラードとは、ポーランドの詩人ミツキェヴィチが創始した文学におけるバラードの発想に基づきショパンが生み出したものであること、また6拍子はスラヴ系の民謡ドゥムカに基づくものであること、そしてショパンは作品に標題を与えることを嫌っていたこと、など、鑑賞にあたっての基礎知識も得ることができました。

昨年12月の阪田知樹さんのリサイタルでもバラード4番について解説がありましたが、それを更に補強してもらった感じです。

純器楽的につくられた音楽を各々の感じ方で聴いてください、とのことでしたが、バラードはどの作品も起伏に富み、ショパン作品の多くがそうですが長調と短調を行ったり来たりするので、やはりなにかしら心象風景なのではないか、と考えてしまいます。その繊細な心の揺らぎみたいなものに、聴いていても自分で弾いていても(バラードは弾けませんが笑)同調してしまう、そこがショパン作品の大きな魅力だと思っています。

標題がなく4曲のみ、というと、ブラームスの交響曲を連想してしまうのですが、どれも傑作でどれかひとつを選べない、という点でも似ています。一般的には、ポリフォニックな構造を持つ4番が最も評価が高いようですが——しかし、昨年のガジェヴさん、先述の阪田知樹さん、と、ここのところバラードの4番との巡り合わせが続きます。

今回の楽器はショパンが弾いていたのと同年代のプレイエル。
なので、この音色がそのままショパンの音色だと思って聴いてよい、と思うと、鑑賞脳に少し余裕が生まれます。即ち、音色変換の想像力を働かせなくてよいということなのですが、このまま受け取っていいと思うとどっぷりと浸れます(そもそもフォルテピアノを知ってしまったがために、モダンピアノを聴いて脳内音色変換などというややこしいことを始めてしまったわけですが)。

その音色は、単音をゆっくりと弾いた時に、より時代の香りが立ち上がってきます。セピア色の美しい映像を見ているような、古き良き時代の香り。

この日の川口さんの演奏は、曲想の変わり目にたっぷりと余韻を響かせ、間をとっていました。その音楽への没入感はこれまでになかったもので、バラードならではの演奏でしょうか。バラード1番で早くも涙目。その後マズルカ、ポロネーズ、バラード2番とアタッカで続けて演奏されました。最近のピアノリサイタルはこの形が多いですが、その方が集中力が途切れないので私は好きです。(予習して行かないと、長い曲だなぁと思っているうちに演奏会自体が終わっていた、ということになりかねませんが 笑)

後半、バラード3番の後に前奏曲「雨だれ」が弾かれました。このタイトルはもちろんショパンが付けたものではなく、ジョルジュ・サンドがショパンに語った言葉から名付けられたとのエピソードがあり——しかも前奏曲の中のどれが「雨だれ」なのか確実にはわかっていない(他に3曲、雨だれを連想させる曲があります)。しかし、やはり標題にはつられてしまうもので、したたる美音からは水面に雨粒が落ちて同心円を描く様が浮かんできました。

なお、この日の演奏に使用されたプレイエルはショパン存命中のオリジナルの状態を保ったものとのことでしたが、マホガニーの木目が美しく、ペダル部分はハープのようなデザインで、脚や移動用の取っ手も装飾的に作られたものでした。工業化が進んだモダンピアノはこれらの装飾が排除されていて——近代化の過程で装飾性が失われていったのは楽器も建築も同じなのかと、そんなことも考えてしまいました。

◇アンコール
ショパン:フーガ イ短調(ショパンがバッハ作品でフーガを習得中に作られたもの)
J.S.バッハ(サン=サーンス編曲):無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番よりラルゴ

◇座席
F列下手側。阪田さんの時に座ったど真ん中を狙いましたが、発売日ネットでみるみる座席が埋まっていって確保できず。かなり下手側でしたが手元がよく見える良席でした。

◇その他
このピアノには、反響板となる屋根のほかに、「落とし蓋」のような蓋状のものが弦の上に被せられていたのですが、あれは何だったのでしょう?弱音器の類?説明がなかったので、気になるところです。(下の写真はそれがない状態)

タイトルとURLをコピーしました